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'''高木 仁三郎'''(たかぎ じんざぶろう、[[1938年]][[7月18日]] - [[2000年]][[10月8日]])は、日本の物理学者、[[博士 (理学)|理学博士]](東京大学)。 専門は[[核化学]]。[[群馬県]][[前橋市]]出身。
 
[[群馬県]][[前橋市]]出身。[[群馬県立前橋高等学校]]、[[東京大学]][[理学部]][[化学]]科卒業。[[博士 (理学)|理学博士]](東京大学)、専門は[[核化学]]
 
政府の原子力政策について自由な見地からの分析・提言を行う為、原子力業界から独立した[[シンクタンク]]・[[原子力資料情報室]]を設立、代表を務めた。[[原子力発電]]の持続不可能性、[[プルトニウム]]の危険性などについて、専門家の立場から警告を発し続けた。
 
特に、[[地震]]の際の原発の危険性を予見し、地震時の対策の必要性を訴えたほか、脱原発を唱え、[[原子力撤廃|脱原子力]]運動を象徴する人物でもあった。原子力発電に対する不安、関心が高まった[[1980年代]]末には、新聞、テレビ等での発言も多かった。
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:<small>「[[茨城県]]・[[東海第二発電所|東海第二原発]]」でも、外部電源が途絶、非常用発電機にも障害が発生。 翌月の地震では、「[[宮城県]]・[[女川原発]]」で外部電源の遮断により燃料プールの冷却が停止。 「[[青森県]]・[[東通原発]]」([[2005年]]に運転開始)でも、外部電源が途絶、非常用のディーゼル発電機が、燃料漏れ等で、一時、全てが使用不能となるなど、[[炉心溶融|メルトダウン]]につながりかねない異常事態が頻発、高木の想定は、現実の危機となっている。</small>
 
== 主な著作 ==
*『科学は変わる 巨大科学への批判』([[1979年]]、[[東洋経済新報社]])
*『[[スリーマイル島]]原発事故の衝撃 1979年3月28日そして… 』([[1980年]]、[[社会思想社]])
*『危機の科学』([[1981年]]、[[朝日新聞出版|朝日新聞社]])
*『米ソ核戦争が起ったら』(1981年、[[岩波書店]])共著:西沢信正
*『元素の小事典』([[1982年]]、[[岩波ジュニア新書]])
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*『プルトニウムの恐怖』(1998年、岩波新書)
*『MOX総合評価』(1998年、七つ森書館)
*『市民の科学をめざして』([[1999年]]、[[朝日新聞出版|朝日新聞社]]
*『市民科学者として生きる』(1999年、岩波新書)
*『若者たちが見た20年目のスリーマイル島原発』([[2000年]]、原子力資料情報室)共著:伊豆英恵
*『原子力神話からの解放 日本を滅ぼす九つの呪縛』(2000年、[[光文社]]→[[講談社+α文庫]])
*『証言 核燃料サイクル施設の未来は』(2000年、七つ森書館)
*『鳥たちの舞うとき』(2000年、工作舎)ISBN 978-4-87502-338-8
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*『新装版 反原発、出前します 原発・事故・影響そして未来を考える』(2011年、七つ森書館)
*『いま自然をどうみるか(新装版)』(2011年、白水社)
*『原子力神話からの解放 日本を滅ぼす九つの呪縛』(2011年、[[講談社+α文庫]])
=== 訳書 ===
*ゴッドフレイ・ボイル『太陽とともに 自然と共存する技術』([[1978年]]、現代教養文庫)