「太田哲也」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m →概要 |
|||
24行目:
{{cleanup|section=1|date=2011年2月}}
=== 概要 ===
事故は[[1998年]][[5月3日]]、
その中で、太田の前方を走っていた[[砂子塾長|砂子智彦]]の[[ポルシェ]]が前方の車輌に追突し、パーツを撒き散らしながら進行方向左側、コース外のエスケープゾーンに放り出され、右を向いた姿勢で停止する。追突したポルシェはピットロード出口付近のガードレールに衝突して停止した。その直後、突然視界が開けた際に急減速して来た前方の車両への追突を避ける為に同ゾーンへ逃げた太田の車輌(TFCJ[[フェラーリ・F355|フェラーリF355]]GT)が衝突した。太田の証言では正面衝突を避ける為に、あえてスピンさせ、助士席側から衝突させ衝突のダメージを出来る限り回避させる行動を取ったという。スタート前のためガソリンが満載されていた太田の車輌は爆発・炎上、衝突の弾みによりコース脇のコンクリート壁に弾かれた後、スピンしながらホームストレートを跨ぎ、激しく炎上しながらピットロード出口から200m程先の地点で後ろ向きに停止した。爆発炎上の原因は、衝突の際にポルシェ、フェラーリ共々フロント側に設置されているガソリンタンクが押し潰され、噴出したガソリンが衝突時に生じた火花か何かに引火して爆発したものとみられている。
|