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'''清岡 卓行'''(きよおか たかゆき、[[1922年]]([[大正]]11年)[[6月29日]] - [[2006年]]([[平成]]18年)[[6月3日]])は、日本の[[詩人]]、[[小説家]]。
[[関東州]]の[[大連市|大連]]生れ。[[東京大学文学部]]仏文科
妻は作家の[[岩阪恵子]](いわさか けいこ、本名 清岡惠子)。前妻の息子
== 略歴 ==
[[ロシア]]・[[日本]]の[[租借地]]であった大連で、生まれてから敗戦による本土引揚げまでの20数年間(内地での[[第一高等学校 (旧制) |一高]]、[[東京大学|東大]]在学時を途中に挟む)を過ごす。一高時代、詩人[[原口統三]]と親交をもつ。大連という歴史的重層性と澄明な風土を備えた空間性のなかで育まれた感受性は、後の作品群に大きな影響を及ぼす。父母の生地は[[高知県]]であるため[[高知県出身の人物一覧]]にも記載されている。
東大在学中の[[1949年]]に、プロ野球の[[日本野球連盟 (プロ野球)|日本野球連盟]]に就職し、連盟分裂後はそのまま[[セ・リーグ]]事務局に勤務して日程編成を担当。「[[猛打賞]]」を発案したことでも知られる。1964年退社し、[[法政大学]]講師
彫琢された正確さと豊饒な官能性の複合体というべき文体によって生み出された作品群は、詩と散文に判然と区別されるというよりは、[[石川淳]]が指摘したように、その双方のジャンルの枠を読者に思考させる質を備えている。そこに全体として通底しているのは、[[高橋英夫 (評論家)|高橋英夫]]が指摘するような音楽性である。反時代的に抒情詩の可能性を拓き続けたこの孤高の詩人は、死後[[平出隆]]によって「純粋を貫いた詩家」と評された。
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37歳で刊行された遅すぎる処女詩集『氷った焔』は、[[シュルレアリスム]]からの影響が顕著なイマージュの驚きに満ちた日本戦後詩のひとつの金字塔であり、特に冒頭の詩『石膏』のなかの一行「きみに肉体があるとはふしぎだ」はよく知られている。『氷った焔』は第一詩集にして清岡の詩業全体の扇の要であり、[[宮川淳]]が指摘したように、鏡のなかから日常へと歩み出す蝶番となっている。
同時期に詩と映画を論じた最初の評論集『廃虚で拾った鏡』が刊行。ここに収録された
第二評論集『手の変幻』に収録された、[[ミロのヴィーナス]]の両腕の欠落を想像力による全体への飛翔の契機と見る『ミロのヴィーナス』は、戦後の批評テクストのなかでもっとも教科書に多く採用されたもののひとつであり、特によく読まれている。
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第二詩集『日常』から第三詩集『四季のスケッチ』を経て、生の憂悶と甘美さがひとつの意志によって貫かれたスタイルが確立されていくが、特に『大学の庭で』や『音楽会で』などの名篇を多く収めた『四季のスケッチ』は優しさに満ちた傑作である。
最初の妻(沢田真知)の死を契機に小説を書き始め、敗戦によって決定的に失われた故郷大連と亡き妻への喪の[[エクリチュール]]とも言うべき『
1970年に、[[岩阪恵子]]と
詩壇と距離を置きつつ、日常に深く寄り添いながら書かれた第五詩集『固い芽』から第八詩集『幼い夢と』へと至る70年代半ばから80年代への展開は、同時期の夢をテーマとした作品群と絡まりあいながら、60年代を貫いていた一種の昂揚に代わって日常のより深みに響く音楽が詩となって流れ出している。特に『幼い夢と』はその平明さと質の高い抒情性から広く読まれ、[[吉本隆明]]はその「生の倫理と美の感性と生理の必然が緊密にからみあって」いる詩境にもはや「他からどんな言葉もさし挟むことができない」と評した。この言は現代詩壇の閉鎖的ディスクールに弄されることの少なかった清岡の詩の豊饒さの本質を言い当てているだろう。
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またこの時期には、引揚げ以来の中国への旅が国交回復により果たされたことによって中国をテーマにした詩篇や小説が多い。『大連小景集』に始まって80年代を貫く第二期の「大連もの」の小説群は、「致命的なわたしの夢」としての大連の神話を歴史へと解体する意味を備えていた。『氷った焔』以前の文語詩篇を中心に収録した第11詩集『円き広場』も同時期に刊行されており、大連の中山広場を詠んだ表題作をはじめ名篇が多い。
晩年の代表作
また晩年は、詩誌『[[現代詩手帖]]』新年号の巻頭を衰えるところを知らない清新な詩篇で飾り続けた。
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== 著作 ==
===詩集===
*『氷った焔』 1959年 書肆ユリイカ
*『日常』 1962年 思潮社
*『四季のスケッチ』 1966年 晶文社
*『ひとつの愛』 1970年 講談社
*『イヴへの頌』
*『固い芽』 1975年 青土社
*『駱駝のうえの音楽』 1980年 青土社
*『西へ』 1981年 講談社
*『幼い夢と』 1982年 河出書房新社
*『初冬の中国で』 1984年 青土社
*『円き広場』 1988年 思潮社
*『ふしぎな鏡の店』 1989年 思潮社
*『パリの五月に』 1991年 思潮社
*『通り過ぎる女たち』 1995年 思潮社
*『一瞬』 2002年 思潮社
*『ひさしぶりのバッハ』 2006年 思潮社
===散文著作(批評・小説・随筆)===
*『詩と映画/廃虚で拾った鏡』 1960年 弘文社
*『手の変幻』 1966年 美術出版社 のち講談社文芸文庫
*『[[アカシヤの大連]]』 1970年 講談社 のち講談社文庫
*『抒情の前線 戦後詩十人の本質』 1970年 新潮社[新潮選書]
*『フルートとオーボエ』 1971年 講談社
*『海の瞳 [[原口統三]]を求めて』 1971年 文藝春秋 のち文春文庫
*『鯨もいる秋の空』1972年 講談社
*『サンザシの実』 1972年 毎日新聞社
*『花の躁鬱』 1973年 講談社
*『萩原朔太郎「猫町」私論』 1974年 文藝春秋 のち筑摩叢書
*『詩
*『夢を植える』 1976年 講談社
*『窓の緑』 1977年 小沢書店
*『藝術的な握手』 1978年 文藝春秋
*『邯鄲の庭』 1980年 講談社
*『桜の落葉』 1980年 毎日新聞社
*『夢のソナチネ』 1981年 集英社
*『薔薇ぐるい』 1982年 新潮社
*『大連小景集』 1983年 講談社
*『猛打賞』 1984年 講談社
*『李杜の国で』 1986年 朝日新聞社 のち朝日文庫
*『別れも淡し』1986年 文藝春秋
*『大連港で』 1987年 福武書店 のち福武文庫
*『
*『薔薇ぐるい』 1990年 日本文芸社(別冊:薔薇の詩のアンソロジー
*『蝶と海』 1993年9月 講談社
*『郊外の小さな駅』 1996年6月 朝日新聞社
*『マロニエの花が言った
*『太陽に酔う』 2002年 講談社
*『断片と線』 2006年 講談社、遺稿集、短篇三篇と書評・詩論の随想
===作品集成===
*『清岡卓行詩集』 1968年、新選版1977年、[[思潮社]][現代詩文庫]
*『<small>続</small> 清岡卓行詩集』 1994年、同上
*『<small>続続</small> 清岡卓行詩集』 2001年、同上
*『清岡卓行詩集』 1969年、普及版1970年、思潮社、各限定出版
*『清岡卓行全詩集』 1985年、定本版2008年、同上
*『現代の詩人6 清岡卓行』 1983年 中央公論社、鑑賞[[宇佐美斉]]・肖像[[高橋英夫 (評論家)|高橋英夫]]
*『清岡卓行大連小説全集 (上・下)』 1992年 日本文芸社、
*『清岡卓行論集成』 2008年、勉誠出版、岩阪恵子・宇佐美斉編<br> 2冊組で未刊エッセイと、100名超の執筆者による作家・作品論集、
===翻訳===
*『ランボー詩集』 1968年/新編1992年 河出書房新社
*『ヒロシマ、私の恋人
**[[マルグリット・デュラス]]
== 受賞歴 ==
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