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メディチ家の侍医の子として生まれ、ラテン語・ギリシア語を学ぶ。[[コジモ・デ・メディチ]](1389年-1464年)に才能を見出されて、フィレンツェ郊外のカレッジに別荘を与えられ、コジモの意向により[[ヘルメス文書]]を翻訳(1463年)、次いでプラトン全集の翻訳に従事し、1469年までに完成させた。
 
[[中世]]ヨーロッパでは[[スコラ学]]のなかで[[アリストテレス]]は知られていたものの、[[プラトン]]については(『[[ティマイオス]]』などを例外として)ほとんど知られていなかった。[[フィレンツェ公会議]]などを契機に[[東ローマ帝国]]の学者などを介してプラトンをはじめ多くのギリシア語文献が伝わった。フィチーノによるプラトン全集の翻訳フィチーノの訳業はルネサンス期の新プラトン主義([[ネオプラトニズム]])隆盛の元になった。
 
また、コジモが創立した私的なサークル、[[プラトン・アカデミー]]の中心となり、同サークルの活動により[[アンジェロ・ポリツィアーノ|ポリツィアーノ]]、[[ピコ・デラ・ミランドラ]]らに直接的に影響を与えた。