「ゴスラー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Tan28 (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
編集の要約なし
21行目:
 
==概要==
*ランメルスベルク鉱山は[[ニーダーザクセン州]]南部の[[ハルツ山地]]の海抜 635 [[メートル|m]] の[[鉱山]]で、1000年以上前から採掘が行われていた。
*ゴスラーはハルツ地方の中心的な都市で、ランメルスベルク鉱山の麓にあり、鉱山の町として栄えた。
*ゴスラーの町には歴代の皇帝・王の居留地が置かれ、美しい街並みが形成された。
*ヨーロッパ屈指の歴史を持つランメルスベルク鉱山とゴスラーの旧市街は、[[1992年]][[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]世界遺産に登録された。
 
==歴史==
ランメルスベルク鉱山の歴史は[[銀]]の採掘から始まった。その後、[[銅]]、[[鉛]]が採掘され[[1980年代]]に鉱脈が枯渇し、[[1988年]]閉鎖された。
最近の考古学的な調査によると本格的に採掘が始まったのは[[13世紀]] - [[14世紀]]頃のようである。
しかし、40 [[キロメートル|km]] ほどはなれた[[3世紀]] - [[4世紀]]の遺跡から見つかった金属器にランメルスベルクの鉱山産出の金属が含まれていることが確認され、採掘が始まったのは[[古代ローマ|ローマ時代]]、1000年以上前であると考えられている。
1000年以上の歴史を持つランメルスベルクの鉱山は 2700万 [[トン|t]] の資源を産出したと考えられている。
[[鉱山]]が廃業したあと、鉱山と産業の歴史を示すために博物館が設立された。
35行目:
ランメルスベルク鉱山のふもとにあるゴスラーは、すでにローマ時代からハルツ地方の主要都市であったと思われる。[[ロンドン]]の駐車場の地下で見つかったローマ時代の剣からもランメルスベルク鉱山の金属が含まれていることが確認されており、既にこの頃ゴスラーは[[ヨーロッパ]]各地と交流があったと思われる。
 
ゴスラー市は[[922年]]、[[ローマ王|ドイツ王]][[ハインリヒ1世 (ドイツ王)|ハインリヒ1世]]により設立された。[[11世紀]]には皇帝色である薄紫色に飾られた皇帝居城が[[ハインリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ3世]]により建設された。ゴスラーは銀を産出したため、皇帝直轄領だったのである。その後ゴスラーは[[神聖ローマ帝国]]の主要都市となり、皇帝や王が居留した。[[ホラント伯]][[ウィレム2世 (ホラント伯)|ウィレム2世]]([[対立王]])を最後に、[[1253年]]からゴスラーは[[自由都市]]となった。[[ハンザ同盟]]に加わる。
 
[[1530年]]から[[1657年]]の間に[[魔女狩り]]で28人が犠牲になった。今では[[魔女]]がハルツ地方の[[マスコット]]キャラクターとなっている。
<!--
[[1629年]]、大聖堂と皇帝居城が[[イエズス会]]に買収される。
[[1632年]]、スウェーデンのガスタフ2世に占領される。
-->
[[19世紀]]まで[[スウェーデン]][[フランス]]に占領されたりするが、[[20世紀]]にはドイツの一部となる。[[第二次世界大戦]]のあとはイギリスの管理地となった。[[1960年代]][[1970年代]]には民間企業により盛んに採掘が進み町が発展した。
しかし、1988年資源が枯渇し鉱山が閉山すると町は衰退するが、美しい旧市街を訪れる観光客が絶えなかった。
 
48行目:
 
==観光==
もっとも近い[[空港]]は[[ハノーファー]]となる。ハノーファーからは車で1時間半ほど。またハノーファー中央駅から2時間ごとに直通の快速電車が出ている。乗車時間は1時間半ほど。駅から西に歩いていくと数分で旧市街に入る。観光案内所はマルクト広場のラッツハウス(旧市庁舎)の向いにある。
 
旧市街はかなり広く、水路が通っていて変化がある。ドイツの伝統的な木筋レンガ構造の民家が建ち並び、ドイツ北部の田舎町としてもっとも楽しめる観光地である。
町のあちこちに[[美術館]][[博物館]]があり、全てを回ったら一日では足りない。
 
ドイツ北部は[[アジア]]からの観光客が少ないので静かに旧市街の散策を楽しめる。
 
== 登録基準 ==