「ジャン・ボードリヤール」の版間の差分

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1962年 [[フェリックス・ガタリ]]とともにフランス中国人民協会を設立。このころより、[[カール・マルクス|マルクス]]や[[ベルトルト・ブレヒト|ブレヒト]]の翻訳を発表する。
 
1966年 博士号を取得。博士論文は『物の体系』で、審査員は[[ロラン・バルト]]、[[ピエール・ブルデュー]]、[[アンリ・ルフェーブル]]。パリ大学ナンテール校でルフェーブルの助手となる。その後、『対象のシステム』を発表し、[[フェルディナン・ド・ソシュール|ソシュール]]の[[記号論]]を「貨幣は一定の諸機能においてそれ自身のたんなる記号によって置き換える事が出来る」と言ったマルクスの価値理論に取り入れた画期的な視点で脚光を浴びる。
 
1977年 『誘惑論序説――フーコーを忘れよう』を発表。[[ミッシェル・フーコー]]の怒りを買う。