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'''久保寺 逸彦'''(くぼでら いつひこ、[[1902年]][[9月10日]] - [[1971年]][[11月5日]])は[[アイヌ]]文化および[[アイヌ語]]の[[学者|研究者]]。[[金田一京助]]の薫陶を受け、[[知里真志保]]、[[山田秀三]]と交友関係を持ち、{{lang|ain-Kana|[[ユーカラ]]}}などの[[口承文芸]]や宗教儀礼([[儀式]]参照)の記録に多大な貢献を残した。墓所は[[多磨霊園]]。
 
==略歴==
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**以降 旧制釧路中学(現[[北海道釧路湖陵高等学校]])、山梨県立甲府中学(現[[山梨県立甲府第一高等学校]])を経る
**[[國學院大學]]に在学中、アイヌ語の研究を金田一京助の指導を受けて始める。
*[[1925年]] 國學院大學文学部国文科卒業
*[[1933年]] 特にこの年から[[1935年]]まで行われた[[口承文芸]]の録音は、まとまった分量の口承文芸録音として最古のもの。
*[[1949年]] 東京第二師範学校(現[[東京学芸大学]])教授
*[[1960年]] 文学博士号 アイヌ叙事詩 - 神謡・聖伝の研究の成果に対して
*[[1966年]] [[駒澤大学]]文学部教授
 
==主な著作==