「レオナルド・トーレス・ケベード」の版間の差分

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== 経歴 ==
1852年12月28日、[[スペイン]][[カンタブリア州]] モリェド(Molledo)のサンタクルス・デ・イフーニャ(Santa Cruz de Iguña)で生まれた。父親が鉄道技師として働いていたため、職場のある[[ビルバオ]]で幼少期を過ごした。ビルバオで高校を優秀な成績で卒業し、後に2年間[[パリ]]で学んだ。[[1870年]]、父親の転勤に伴って[[マドリード]]に移住。同年、道路技術者隊(Road Engineers' Corps)の公式な学校に入学。[[1873年]]、第三次[[カルリスタ戦争]]が勃発しビルバオがカルリスタに包囲されたため、トーレスはビルバオ防衛に志願兵として赴いた。その後再びマドリードの学校に戻り、[[1876年]]に卒業。
 
父親と同じ鉄道会社に就職したものの、科学技術の進歩の様子(特に注目され始めたばかりの[[電気]]に関すること)を直に見るため、すぐに[[ヨーロッパ]]放浪の旅に出た。スペインに戻ると、[[サンタンデール (都市)|サンタンデール]]に定住し、自己資金で調査研究を始めた。その成果はまず[[1893年]]に明らかとなった。
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[[1918年]]、技術者 Emilio Herrera Linares と共同で大西洋横断飛行船 ''Hispania'' を設計し、世界初の大西洋横断飛行の栄誉をスペインにもたらそうとした。しかし資金集めが難航したためにプロジェクトは遅延し、世界初の[[大西洋横断飛行|大西洋無着陸横断飛行]]の栄誉はイギリスの[[ジョン・オールコック]]らが勝ち取った。
 
=== チェス人形機械 ===
[[19101912年]]、トーレスは[[チェス]]指す[[オートマタ]]を作り始め成し<ref name="Ajedrecista">[http://chessprogramming.wikispaces.com/El+Ajedrecista Ajedrecista(TheEl ChessplayerAjedrecista, Chess Programming.]</ref>。エル・アヘドレシスタ(El Ajedrecista、チェスプレイヤーの意)と名づけられた人形機械は、チェスの終盤の下にある電磁石でみを扱い白のキングを自動的に動かすこルークき、人間側の黒のキングを詰ませようとする相手で、最初の駒の位置対しかかわらず人間側を[[チェックメイト]]することができた。最初に作成された機械はアームを使っ逃げ駒を動かすものだったが、[[1920年]]に作成された2番目の機械はより洗練され盤の下にあ電磁石で駒打つ自動的に動かすことができた。それ以前に作成された[[ヴォルフガング・フォン・ケンペレン]]の「トルコ人」とは異り、どのチェス人形が中に隠れたは入っの操作でプレイしていたのに対し、トーレスのチェス機械は内部の電気機械的装置により判断を行駒の動きを決めることができたため、しばしば最初のチェスコンピュータと呼ばれる<ref name="Ajedrecista"></ref>。また、歴史上最初のコンピュータゲームと呼ばれることもある<ref>Montfort, Nick (2005). ''Twisty Little Passages: An Approach to Interactive Fiction''. MIT Press, p.76. ISBN 0262633183</ref>
 
=== ロープウェイ ===
[[画像:Niagara Falls Whirlpool Aero Car.jpg|thumb|ナイアガラのエアロカー]]
トーレスが[[索道|ロープウェイ]]の実験を始めたのは非常に早く、生まれ故郷の Molledo モリェドに住んでいたころであった。[[1887年]]、約40メートルの窪地をまたぐ最初のロープウェイを建設している。全長は約200メートルで、単座のゴンドラを2頭の牛で引いた。この実験に基づいて彼は最初の特許(複数のケーブルを使ったロープウェイにより、貨物だけでなく人間の輸送が可能な安定した輸送手段)を申請した。後に電動機を使ったロープウェイ ''cableway of the Río León'' を建設したが、貨物輸送専用として使われていた。[[1890年]]、[[スイス]]にロープウェイ建設を提案。スイスはこれに大いに興味を持ったが、そのプロジェクトは採用されなかった。[[1907年]]、トーレスは人間の輸送に適した最初のロープウェイを[[サン・セバスティアン]]の Monte Ulía に建設した。安全性は複数のケーブルを巧妙に利用することで確保された。結果として非常に堅牢な設計となり、サポートケーブルのうちの1本が切れても耐えることができた。プロジェクト実行はビルバオの工学研究会によるもので、同会は[[シャモニー]]や[[リオデジャネイロ市]]でもロープウェイ建設に成功した。最も有名な例として、[[カナダ]]の[[ナイアガラフォールズ (オンタリオ州)|ナイアガラフォールズ]]に建設されたスパニッシュ・エアロカーがあるが、科学的観点では最重要というわけではない。[[1914年]]から[[1916年]]に建設され、全長580メートルのケーブルが[[ナイアガラの滝]]の[[カナダ]]側の滝つぼを跨いだ形で設置された。建設はスペイン資本によるスペイン企業が行い、最初から最後までスペインのプロジェクトとして行われた。乗り場の入口に設置された青銅の飾り板には ''Spanish aerial ferry of the Niagara. Leonardo Quevedo Torres (1852&ndash;1936)'' と記されている。[[1916年]][[2月15日]]に試験運行が開始され、[[1916年]][[8月8日]]に正式運行となり、その翌日から観光客の利用が開始された。その際に若干の修正が施され、以来今日まで大きな問題も無く観光客に雄大な景色を提供し続けている<ref>[http://www.niagaraparks.com/nfgg/aerocar.php Whirlpool Aero Car - Niagara Parks, Niagara Falls, Ontario, Canada]</ref>。
 
=== ラジオコントロール: ''Telekino'' ===
[[1903年]]、トーレスはパリの科学アカデミーで、''Telekino'' のデモンストレーションを披露した。同年、フランス、スペイン、イギリス、[[アメリカ合衆国]]でその特許を申請している。''Telekino'' は電磁波の指令を受信して実行する[[ロボット]]である。これは世界初の[[ラジコン|ラジオコントロール]]であり、[[リモコン|遠隔制御]]としても先駆的であった。[[1906年]]、スペイン国王も含めた大観衆の前でこの発明を披露した。後にこの発明を発射物(あるいは魚雷)に応用しようとしたが、資金不足で中止した。<ref>[http://www.ieeeieeeghn.org/webwiki/aboutusindex.php/history_center/telekine.htmlMilestones:Early_Developments_in_Remote-Control,_1901 IEEE - IEEE History Center: Early Developments in Remote-Control, 1901]</ref>
 
=== アナログ計算機械 ===