「コムネノス王朝」の版間の差分

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===マヌエル1世の野望と挫折===
[[Image:Manuelcomnenus.jpg|right|thumb|120px|マヌエル1世コムネノス]]
[[File:Byzantium in 1170(3).PNG|250px|right|thumb|1170年の東ローマ帝国]]
こうした繁栄を受けて三代目の皇帝[[マヌエル1世コムネノス]]は、古代[[ローマ帝国]]の復興を目指して[[イタリア遠征]]、[[キリキア]]・[[シリア地方]]への遠征、[[神聖ローマ帝国]]との外交戦を繰り広げ、盛んに建築活動を行なった。しかしマヌエル1世の積極的な外交政策や享楽的な生活は財政支出の増大を生んで帝国の財政を悪化させた。また祖父アレクシオス1世の代から特権を得ていたヴェネツィアの増長ぶりを見たマヌエルは、[[1171年]]にヴェネツィア人の一斉逮捕を行ったために、関係が悪化し、のちの[[第4回十字軍]]を生む結果となる。内政面でもコムネノス・ドゥーカス一門の軍事貴族は代を経るにしたがって人数が肥大化し、彼らは各地に根付いて強大化した。このため皇帝も貴族たちを統御しきれず、中には半独立状態になる者まで現れた。十字軍と帝国の首都市民の軋轢は増し、軍事協力の見返りとしてヴェネツィアやジェノヴァに貿易特権を与えたことで国内の商工業は衰退し、関税収入も失われた。