「別子銅山」の版間の差分

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登録有形文化財
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== 沿革 ==
; 鉱山の発見
[[大坂屋久左衛門]]経営の[[伊予国]][[立川銅山]]で働いていた[[切場長兵衛]]は立川銅山に隣接する[[足谷山]](別子)に銅鉱が連鎖しているのを覚り、[[備中]]の[[吉岡鉱山]]に住友の[[田向重右衛門]]を訪ね、見込みを告知した。田向は部下とともに長兵衛を案内人に、大坂屋に気づかれないように[[天満村 (愛媛県)|天満村]]から険しい山中を踏み越えて足谷山に入り、大鉱脈が横たわることを確認した。
* [[1690年]]([[元禄]]3年)秋 - 田向重右衛門一行が別子銅山を検分。<br>
; 開坑の計画
* [[1691年]](元禄4年)4月、住友家は開坑を願い出たが、その条件は下記のとおり。
# 元禄4年6月から9年5月まで満5箇年請負
# 運上は銅1000貫につき130貫、代金は銅100貫目につき銀500目
# 炭窯運上は10口につき1箇年銀30枚、ただし毎月上納、
# 銅山付近の材木は残らず銅山付、
# 奥山大難所の林木で年々枯れ捨てる分は銅山用材として下付 など
であった。「1」は成績が不良であった場合は請負を辞退することを保留したもので、永代請負となったのは[[1702年]](元禄15年)3月である。これよりさき元禄15年1月、[[住友友芳]]は[[勘定奉行]][[荻原重秀]]に呼び出され、成績不良で[[1698年]](元禄11年)に請負を辞退した吉岡鉱山の経営を高圧的に命じられたが、これは[[江戸幕府]]の貨幣政策で丁銅不足に悩んでいたためであるが、友芳はその交換条件を提出したが、それは下記のとおり。
# 別子銅山と吉岡銅山に対して鉱業助成金10000両を貸し下げ
# 西国筋天領のうちから吉岡別子両従業員食糧用に米6000石払い下げ、ただし10ヶ月延買
# 別子銅山永代請負   など
[[File:Dai1tsudo-Besshi copper mine.jpg|thumb|240px|第一通洞南口 新居浜市旧[[別子山村]]]]
; 住友による開坑
* [[1691年]]5月 - 別子銅山請負稼行認可。
* 1691年閏[[8月1日]] - 採鉱開始。
* [[1698年]] - [[明治]]以前で最高の産銅量を記録。
* [[1702年]] - 新居浜[[口屋]](浜宿)を設置。
* [[1865年]]9月 - [[広瀬宰平]]別子支配人となる。
* [[1874年]]([[明治]]7年)3月 - [[フランス人]]鉱山技師[[ルイ・ラロック]]、別子に赴任。
* [[1875年]](明治8年)10月 - 鉱山目論見書完成、ルイ・ラロック解雇。
* [[1876年]](明治9年)2月 - 広瀬宰平、別子近代化起業方針を示す。
* 1876年(明治9年)7月 - 東延斜坑の開さくに着手。
* [[1882年]](明治15年)12月 - 広瀬宰平、惣開精錬所の建設を政府に出願。
* [[1888年]](明治21年)11月 - 惣開精錬所操業開始。
* [[1893年]](明治26年)2月 - [[住友別子鉱山鉄道]]の下部鉄道が開業。
* 1893年(明治26年)8月 - 住友別子鉱山鉄道の上部鉄道が開業。
* 1893年(明治26年)9月 - 煙害問題発生。
* [[1896年]](明治29年)6月 - 新精錬所の候補地を[[四阪島]]に決定。
* [[1899年]](明治32年)8月 - 台風により水害発生。
* [[1900年]](明治33年)1月 - 開坑200年を記念し皇居前に[[楠正成|楠公]]銅像献納。
* [[1902年]](明治35年)8月 - 第三通洞貫通。
* [[1905年]](明治38年)1月 - 四阪島精錬所本格操業開始。
* [[1911年]](明治44年)2月 - 住友別子鉱山鉄道の上部鉄道廃止。
* [[1915年]]([[大正]]4年)9月 - 第四通洞貫通。
* [[1916年]](大正5年)1月 - 採鉱本部を東延から東平に移転。
* [[1924年]](大正13年)11月 - 四阪島精錬所に大煙突完成。
* [[1927年]]([[昭和]]2年)10月 - [[鷲尾勘解治]]、最高経営者となる。
* [[1929年]](昭和4年)6月 - 新居浜築港計画出願。
* [[1930年]](昭和5年)5月 - 採鉱本部を東平から端出場に移転。
* [[1939年]](昭和14年)6月 - 新居浜築港完成。
* 1939年(昭和14年)12月 - 四阪島精錬所煙害問題解決。
* [[1960年]](昭和35年)9月 - 大斜坑の開削着手。
* [[1968年]](昭和43年)3月 - 東平坑休止、東平撤退。
* [[1969年]](昭和44年)2月 - 大斜坑完成。
; 閉山
* [[1973年]](昭和48年)3月 - 筏津坑終掘、閉山。
* [[1975年]](昭和50年)6月 - [[別子銅山記念館]]開館。
* [[1977年]](昭和52年)2月 - 住友別子鉱山鉄道廃止。
* 1990年代後半、世界遺産登録を目指す動き始まる。
 
== 地質学的特徴 ==