「人種差別」の版間の差分

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Benzoyl (会話 | 投稿記録)
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ローマ時代を古代欧州と定義するかは、欧州懐疑論者からしばしば聞かれる疑問である。仮に含めた場合、北アフリカの属州に居住する住民を通じて一定の異人種間の交流が見られたが、属州アフリカの大多数の住民はコーカソイド系の[[ベルベル人]]であって、中南部の黒人種との交流はごく限定的なものであった。封建的無秩序といえる中世時代においては身近な貴族同士の対立が一番の関心事で、次に宗教的対立がより重要な課題であり、次いで民族対立が垣間見えるといった程度であった。なお肌の白さが優位性の印と考えられるようになったのは後世の話である。当時のガリアやゲルマンは文明の中心地であった地中海世界や中東から離れた未開地であり、ローマ人にとって金髪碧眼(へきがん)は蛮族の象徴のように書かれた。
 
[[大航海時代]]以後の[[西欧|西欧人]]が[[新大陸]]の[[インディアン]]、[[サハラ砂漠]]以南の[[ネグロイド]]を差別したことは歴史上では顕著である。また、同じ西欧人であっても[[アイルランド]]人など差別を受けた歴史をもつ民族<!--アイルランド人の民族としての定義があいまいであるのにこの様な定義はいかがなものでしょうか?2回のジャガイモ飢饉でのアメリカ合衆国への大量移民のことでしょうか?-->も多い。[[風説]]などにより、一方の人種が生物学的に原始的であるとしたり、知能が劣る・野蛮であるとして、野生動物のように考えていた時代もある。大航海時代以後の西欧人は近代的な軍隊により世界の大半を侵略、植民地化していった。[[植民地支配]]を正当化するため西欧人の優勢が主張され「優等人種である白人が、劣等人種である非白人に文明を与えるのは義務である」とされた。この優位性は、「白人こそが最も進化した[[人類]]である」という価値観さえ生む結果となった([[ラドヤード・キップリング]]「白人の責務」、[[セシル・ローズ]]の“神に愛でられし国・イギリス”思想、[[ヒュー・ロフティング]]「[[ドリトル先生]]の郵便局」など)。この考え方は次第に肥大し、学術分野においても各人種間に特徴的な差異を「一方の人種が劣っている証拠」とする説が発表され、[[優生学]]の名で正当化された。この中にあって[[進化論]]は大いに捻じ曲げられ、後の[[文化人類学]]発達を大きく妨げたと考えられる。
 
===アフリカ===