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'''井本 熊男'''(いもと くまお、[[1903年]][[5月1日]] - [[2000年]][[2月3日]])は、[[日本]]の[[山口県]]出身の[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[軍人]]及び[[陸上自衛官]]。[[関東軍防疫給水部]][[731部隊]]が開発した[[細菌兵器]]を[[中国]]にて実戦使用したことでも知られる
 
 
== 略歴 ==
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*[[1938年]](昭和13年):歩兵[[少佐]]に昇任
*[[1939年]](昭和14年):[[支那派遣軍]]総参謀
*[[1941年]](昭和16年):[[中佐]]に昇任。
*[[1940年]](昭和15年)秋:'''細菌作戦の責任者'''である井本の日誌によると731部隊航空班は[[ペスト菌]](に感染した[[ノミ]])を航空機によって中国[[浙江省]]の[[衢県]]、[[寧波]]、[[金華]]、[[玉山]]に投下して多くの死者を出した。爆弾を落とすようにスイッチを押すと飛行機の前後が空いて風圧でノミが噴出する仕組みであった。一方、[[新京]]には地上にて散布し大量の死者を出した。
*[[1941年]](昭和16年):[[中佐]]に昇任。秋:[[湖南省]]の[[常徳]]にて同様にペスト菌を空から投下。井本の日誌には「霧深し、H(高度)を落として捜索、H800付近に層雲在りし為1000m以下にて実施す」と書かれている
*[[1943年]](昭和17年):[[陸軍大臣]]秘書官となる
*[[1944年]](昭和19年):[[大佐]]に昇任