「傾城反魂香」の版間の差分

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[[File:Kikugorō Onoe VI as Matahei and Baigyoku Nakamura III as Otoku in Keisei Hangon Kō.jpg|thumb|200px|又平とお徳
『'''傾城反魂香'''』(けいせい はんごんこう)は[[歌舞伎]]・[[人形浄瑠璃]]の演目名。三段構成のうち、現在は上の段の「土佐将監閑居の場」、通称『'''吃又'''』(どもまた)がよく上演される。
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{{small|[[尾上菊五郎 (6代目)|六代目尾上菊五郎]]の又平と[[中村梅玉 (3代目)|三代目中村梅玉]]のお徳、昭和14年5月[[歌舞伎座]]『傾城反魂香』「土佐将監閑居の場」より}}]]
『'''傾城反魂香'''』(けいせい はんごんこう)は[[歌舞伎]]・[[人形浄瑠璃]]の演目。三段構成のうち、現在は上の段の「土佐将監閑居の場」、通称'''吃又'''(どもまた)がよく上演される。
 
元は[[近松門左衛門]]作の人形浄瑠璃で、[[1708年]]([[宝永]]5年)、 (1708) 大坂[[竹本座]]初演。[[狩野元信]]の150回忌を当て込んで書かれた作品で、絵師[[狩野元信]]と恋人銀杏の前の恋愛に、正直な絵師又平(史実の[[岩佐又兵衛]]がモデル)のエピソード逸話[[名古屋山三郎|名古屋山三]]と不破伴左衛門との争いから来るお家騒動をないまぜにしたものである。歌舞伎化は[[1719年]]([[享保]]4年)、 (1719) 大坂。初演後ほどなく、人形浄瑠璃・歌舞伎ともに「吃又」の部分が単独で繰り返し上演されるようになった。
 
歌舞伎の初演で[[嵐三右衛門 (3代目)|三代目嵐三右衛門]]が又平を演じつとめて以来、多くの名優役者によって又平の人間像が練り上げられた。[[片岡仁左衛門]]の[[お]]「[[片岡十二集]]」の一つでもある。
 
==外題の由来==
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== あらすじ ==
絵師・土佐将監(史実の[[土佐光信]]がモデル)の娘は越前で[[遊女|傾城(遊女]]となり遠山と名乗っていた。遠山は狩野元信に土佐家の秘伝を伝え、結婚の約束を交わす。しかし、元信は六角左京太夫の娘・銀杏の前に気にいられ、結婚の誓いを立ててしまう。元信は不破伴左衛門らによって捕えられるが、血で描いた虎が絵から抜け出して元信を救う。
 
一方、遠山は遊女から遣手に身を落とし、みやと名を変えながら、ひたすら元信を思い続けていた。みやは元信と銀杏の前の祝言の場に現われ、7日間だけ元信と夫婦にしてほしいと銀杏の前に頼みこむ。銀杏の前はやむなく承諾する。こうして一時の夫婦暮らしが始まるが、みやは既に死んでおり、霊魂が姿を現したものであることが判明する。
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折しも元信の弟子の雅楽之助が、師の急難を告げる。又平は、これこそ功をあげる機会と助太刀を願うが、これもあえなく断られ、修理之助が向かうことになる。
 
何をやっても認められない。これも自身の障害のためだと絶望した又平は死を決意する。夫婦涙にくれながら、せめてもこの世の名残に絵姿を描き残さんと、手水鉢を墓碑になぞらえ自画像を描く。「名は石魂にとどまれ」と最後の力を込めて描いた絵姿は、あまりの力の入れように、描き終わっても筆が手から離れないほどであった。水杯を汲もうとお徳が手水鉢に眼をやると、何と自画像が裏側にまで突き抜けているのであった。「かか。ぬ、抜けた!」と驚く又平。お前の執念が奇跡を起こしたのだと感心した将監は、又平の筆力を認め土佐光起の名を与え免許皆伝とし、元信の救出を命じた。
 
又平は、北の方より与えられた紋付と羽織袴脇差と礼服を身につけ、お徳の叩く鼓に乗って心から楽しげに祝いの舞を舞う。そして舞の文句を口上に言えば、きちんと話せることがわかる。将監から晴れて免許状の巻物と筆を授けられた又平夫婦は喜び勇んで助太刀に向かうのであった。
 
== 概略解説 ==
*実在の絵師が登場するが、ストーリー物語は全くのフィクション創作である。
 
*「吃又」は障害を持つ夫とそれを支える妻の夫婦愛が主題となっている。又平は[[中村鴈治郎 (初代)|初代中村鴈治郎]]、[[片岡仁左衛門 (11代目)|十一代目片岡仁左衛門]]、[[尾上菊五郎 (6代目)|六代目尾上菊五郎]]、[[尾上松緑 (2代目)|二代目尾上松緑]]らが得意とした。今日では[[市川團十郎 (12代目)|十二代目市川團十郎]]、[[片岡仁左衛門 (15代目)|十五代目片岡仁左衛門]]が得意としている。お徳は[[中村梅玉 (3代目)|三代目中村梅玉]]、[[尾上梅幸 (7代目)|七代目尾上梅幸]]、[[中村鴈治郎 (2代目)|二代目中村鴈治郎]]が、現在では[[坂田藤十郎 (4代目)|四代目坂田藤十郎]]が得意としている。
*『吃又』は障害を持つ夫とそれを支える妻の夫婦愛が主題となっている。又平は[[中村鴈治郎 (初代)|初代中村鴈治郎]]、[[片岡仁左衛門 (11代目)|十一代目片岡仁左衛門]]、[[尾上菊五郎 (6代目)|六代目尾上菊五郎]]、[[尾上松緑 (2代目)|二代目尾上松緑]]らが得意とし、今日では[[市川團十郎 (12代目)|十二代目市川團十郎]]、[[片岡仁左衛門 (15代目)|十五代目片岡仁左衛門]]が得意としている。お徳は[[中村梅玉 (3代目)|三代目中村梅玉]]、[[尾上梅幸 (7代目)|七代目尾上梅幸]]、[[中村鴈治郎 (2代目)|二代目中村鴈治郎]]らが得意とし、現在では[[坂田藤十郎 (4代目)|四代目坂田藤十郎]]が得意としている。なかでも初代鴈治郎と六代目菊五郎が又平の双璧と謳われた。両舞台をした梅玉は、後年彼ら証言によれば所作の違いを振り返って、鴈治郎の又平は力が人一倍入る熱演型のこもったもので、お徳が花道から舞台に引き戻そうとしてもなかなか動かず疲労困憊したのに対し、菊五郎の又平は一見力が入っているように見え実は全く入っていない、ごく自然なも演技であったとされ述懐している。
 
*手水鉢に又平の自画像が浮かび上がる仕掛けは、手水鉢の中に[[黒子]]が入り内側から描いていくことで、又平の奇跡が起こったように見せている。
山場のひとつが、手水鉢に又平の自画像が浮かび上がる場面。まるで奇跡でも起こったかのように見せるが、仕掛けは簡単で、手水鉢の中に入った[[黒衣]]が又平の像を裏側から描いている。
 
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