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[[中世]]に素人芸として流行した踊りは、[[安土桃山時代]]には[[出雲阿国]]らによって[[かぶき踊り]]として興行化され、これは語源の「[[かぶき者|カブク]]」が示すように異風で、派手な身なりをした、当時の常識を逸脱した芸だったので、舞が禄の対象だったのに対し、取り締まりの対象となった。しかし[[明治維新]]後、舞が禄を失って多くの場合絶えてしまったのに比し、[[歌舞伎]]は[[1965年]]([[昭和]]40年)、国の[[重要無形文化財]]に指定されており、[[2009年]]([[平成]]21年)には[[世界無形遺産]]に登録された。
 
「舞(まい)」と「踊り(おどり)」は、今日では同義語のように用いられることが多いが、その場合、地域的には[[関東]]では「踊り」、[[関西]]では「舞」の使用例が卓越する<ref>池田(1968)p.8</ref>。元来、旋回運動をもととする舞と跳躍運動をもととする踊りは厳然と区別されていたのであり、そのことをはじめに指摘したのは[[折口信夫]]であった<ref>池田(1968)p.7</ref>。ところが東西における舞踊に関する地域的使用例に濃淡が生じていることは、江戸においては歌舞伎の舞台において踊りの有力な本源があるのに対し、[[京]]や[[大阪]]などの[[上方]]では[[能楽]]の舞台が舞踊の基準となる権威として機能していたという差異に由来する<ref group="注釈">そのため、上方では歌舞伎役者の舞踊でも「舞」といい、江戸では能役者の舞踊でも「踊り」と称することが多い。池田(1968)p.11</ref><ref>池田(1968)pp.9-11</ref>。
 
== 脚注 ==