削除された内容 追加された内容
Hansa (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
28行目:
==略歴==
===王位争い===
『[[史記]]』呉太伯世家によると、光の父の[[諸樊]]<ref>『[[史記索隠]]』が引く[[唐]]の[[孔穎達]]の言によると、余昧の息子。</ref>は呉の初代王[[寿夢]]の長子であった。寿夢にはこれ以外に3人の子がおり、中でも末子の[[季札]]は賢人として名が高かった。父・寿夢もそれに期待して季札を王にしたいと願っていた。しかし季札は兄を差し置いて自分が王位に即くことに抵抗し、受けようとしなかった。そこでまず諸樊が王位を継ぎ、その後を第2子の[[余祭]]が継ぐなど兄弟継承の順に続けて、最後に季札に王位が回るようにした。しかし季札は第3子の[[余昧]]から王位を譲られようとした所で、これを拒否して逃亡してしまい、王位は結局、余昧の子である[[呉王僚|僚]]へと継承されることになった。
 
これに光は不満を抱いた。今まで兄弟の間で順番に王位を回してきたのだから季札が王になるのならともかく、季札が逃げ出した後は順番どおりに長子の子である自分が王位を継ぐべきではないかと、思い続けてた。彼はその不満を隠しつつ僚に仕え、将軍として活躍していた。その折、[[楚 (春秋)|楚]]より[[伍子胥]]が亡命してきて光の野望を察し、[[暗殺]]の実行犯に[[専諸]]<ref>『[[春秋左氏伝]]』では鱄設諸。</ref>を推薦した。専諸は僚の元へ魚料理を運び、魚の中に仕込んでいた匕首を持って僚を一突きにして殺し、自らもまた護衛に殺されたと記されている。
44行目:
<references />
 
{{先代次代|[[呉 (春秋)|呉]]の王|第6代:前515年 - 前496年|[[呉王僚|僚]]|[[夫差]]}}
 
{{DEFAULTSORT:こうりよ}}