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経営が苦しくなり、1890年11月、社主の乙部鼎は、朝野新聞社を[[大阪毎日新聞]]社長[[渡辺治]]に売却した。犬養・尾崎・町田ら19人は退社した。[[波多野承五郎]]らが入社して、渡辺治が社長となり、新陣容から、薩摩系新聞と言われた。
 
翌春、[[玄洋社]]の川村惇らが入社し、波多野が社長兼主筆となり、[[大成会]]・[[国民協会 (日本 1892-1899)|国民協会]]の機関誌になった。
 
1892年(明治25年)、北川礼弼社長・川村惇主筆の布陣になったが、翌年11月廃刊した。