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 経歴 
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'''菅田 榮治'''(すがた えいじ、[[1908年]][[2月16日]] - [[1988年]][[7月13日]])は[[日本]]の[[工学者]]。[[工学博士]]。わが国電子工学のパイオニア<ref name="勝田ヶ丘の人物誌411頁">『勝田ヶ丘の人物誌』411頁</ref>
 
国産第一号の[[電子顕微鏡]]の組み立てに成功した<ref name="勝田ヶ丘の人物誌412頁">『勝田ヶ丘の人物誌』412頁</ref>。
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[[鳥取県]][[米子市]]米原出身。
 
福米小学校、米子中学校(現[[鳥取県立米子東高等学校|米子東高校]])を経て[[推薦]]で[[大阪高等工業学校]]に入学するが、同校が1929年に大学に昇格したのにともない、彼もまた大学に進学して 1932年に卒業、そのまま[[講師]]として残った<ref name="勝田ヶ丘の人物誌411頁">『勝田ヶ丘の人物誌』411頁</ref>。
 
1933年[[大阪帝国大学]]工学部専任講師に迎えられると、[[電子顕微鏡]]の研究一筋に打ち込み、1940年、国産第一号の[[電子顕微鏡]]の組み立てに成功した<ref name="勝田ヶ丘の人物誌412頁"/>。倍率一万倍、今から見れば幼稚であるが当時としては、驚くべき性能であった<ref name="勝田ヶ丘の人物誌412頁"/>。