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'''藤原 宮子'''(ふじわら の みやこ、
[[697年]]、文武天皇に嫁ぐ。701年、首(おびと)皇子(後の[[聖武天皇]])を出産したものの心的障害に陥り、その後は長く皇子に会う事はなかった。夫天皇、父不比等等肉親の死を経て、723年に[[従二位]]に叙され、首皇子が即位した翌724年には[[正一位]]、[[大御祖]](文書では[[皇太夫人]])の称号を受けたが病は癒えず、[[737年]]にやっと平癒、息子天皇と36年ぶりに対面した。そして、孫阿倍内親王が即位([[孝謙天皇]])した[[749年]]には[[太皇太后]]の称号を受け、754年に崩御した。享年70前後と推定される。
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