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'''ローマ人'''は、
 
*[[古代ローマ]]における国籍([[ローマ市民権]])を得た者。その背景は時代や状況によって大きく異なる。
#古代の[[イタリア半島]]中部に居住していた[[インド・ヨーロッパ語族]]系民族である[[ラテン人]]のうち、[[ローマ市]]に居住、あるい[[ローマ元々ラテン人の都民権]]を得たも国家一つであり、更に[[ラティウム戦争]]後はで全ラテン人の殆どに拡大された。[[ローマ帝国]]を建設住民として両者は同一化した民族。「'''[[古代ローマ]]人'''」
#1.が建設した[[ローマ共和国]]および[[ローマ帝国]]([[セウェルス朝]]まで)で、[[ローマ市民権]]を取得し付与されたもの。上記の人々に加え、[[同盟市戦争]]を経て市民権を獲得したイタリア半島の在住者、[[アウクシリア|補助軍]]での軍役や植民者との混血などで[[ローマ化]]された人々に付与された場合が多い。一方で、半島南部に居住していたギリシア人はラテン人に同化せず、また、多額の納税による取得や、異民族の有力者への名誉的な市民権の付与なども行われた為、[[ラテン人]]の血統を引かない者や[[ラテン語]]話者でない人々もいく少数派なが存在した。
#帝政中期に行われた[[カラカラ]]帝による「[[アントニヌス勅令]]」後に[[ローマ市民権]]を取得したもの。この勅令は帝国内の全自由民がローマ市民権を保有することを定めたもので、その数は無秩序に拡大された。単にローマ領内の民衆を指す言葉になった(特定の民族を意味しなくなった)為、東西分裂後の[[東ローマ帝国]]では住民の大半が[[ギリシャ人|ギリシャ系]]であったが、ローマ市民権保持者として15世紀の帝国滅亡まで「ローマ人」と自称しつづけた。滅亡後も、オスマン帝国は正教徒のことをルーム(ローマ人)と呼んでいた。
#*現代の[[イタリア]]において地方自治体としての[[ローマ市]]、およびその周辺する人指す持つ人
#*[[ルーマニア人]]の自称。[[トラヤヌス]]帝時代に征服された[[ダキア]]地方に、他地域からの移民を集団的に移住させた事に由来する。「ルーマニア」という国名も「ローマ人の国」と言う意味である。
 
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