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|五輪=[[アトランタオリンピックにおける野球競技|1992年]]
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'''アンソニー・ノマー・ガルシアパーラ'''(Anthony Nomar Garciaparra, [[1973年]][[7月23日]] - )は元[[プロ野球選手]]。右投右打。[[カリフォルニア州]][[ウィッティア (カリフォルニア州)|ウィッティア]]出身の元[[プロ野球選手]]([[内野手]])。右投右打
 
== 経歴 ==
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トレード翌日の8月1日、ガルシアパーラはカブスの本拠地[[リグレー・フィールド]]での[[フィラデルフィア・フィリーズ|フィリーズ]]戦で新天地でのキャリアをスタートさせ、10月3日にシーズンが終了するまで43試合に出場。打率.297・4本塁打・20打点を記録した。
 
一方ガルシアパーラを放出したレッドソックスは、前述の四角トレードで[[ワシントン・ナショナルズ|エクスポズ]]から[[オーランド・カブレラ]]遊撃手を、[[ミネソタ・ツインズ|ツインズ]]から[[ダグ・ミントケイビッチ]][[一塁手]]を獲得。[[ゴールドグラブ賞]]受賞経験者2人が加入したことで守備が改善され[[投手|投手陣]]も成績が向上、また球団や地元マスコミと確執があったガルシアパーラがいなくなったことでチームから火種が消えるなど、チームの状況が好転した<ref name=cowboyssox />。この年、レッドソックスは[[2004年のワールドシリーズ|86年ぶりの世界一]]を達成する。シーズン終了後、ガルシアパーラは[[フリーエージェント (プロスポーツ)|FA]]となった。しかし、打撃で平凡な成績しか残せず守備も急激に衰えていた<ref name=misfortune />うえ、カブレラや[[エドガー・レンテリア]]など他の有力遊撃手もFAとなっていた<ref name=nomartrade />ため、結局1年825万ドルでカブスに残留
 
シーズン終了後、ガルシアパーラは[[フリーエージェント (プロスポーツ)|FA]]となった。しかし、打撃で平凡な成績しか残せず守備も急激に衰えていた<ref name=misfortune />うえ、カブレラや[[エドガー・レンテリア]]など他の有力遊撃手もFAとなっていた<ref name=nomartrade />ため、結局1年825万ドルでカブスに残留。{{by|2005年}}シーズン、故障に悩まされたガルシアパーラの出場試合数は62試合にとどまり、三塁手としての34試合に出場。限界説が囁かれるようになり、カブスもシーズン終了後に再契約のオファーをしなかった<ref>近藤祐司 「[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/column/200607/at00009995.html 強烈な "個" をチームの "和" へ(2/2)近藤祐司の "RED HOT GUY" ! 第4弾]」 『[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/ スポーツナビ]』、2006年7月24日。2008年2月13日閲覧。</ref>。シーズン終了後、守備経験はないが負担の軽い一塁手や外野手として移籍先を探し<ref name="book2006">{{Cite book|和書|author=友成那智、村上雅則|year=2006|title=メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006|publisher=廣済堂出版|pages=430項|id=ISBN 978-4-331-51146-6}}</ref>、12月19日に1年600万ドルでドジャースと契約
 
=== ドジャース時代 ===
[[ファイル:Nomar Garciaparra.jpg|200px|thumb]]
シーズン終了後、守備経験はないが負担の軽い一塁手や外野手として移籍先を探し<ref name="book2006">{{Cite book|和書|author=友成那智、村上雅則|year=2006|title=メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006|publisher=廣済堂出版|pages=430項|id=ISBN 978-4-331-51146-6}}</ref>、12月19日に1年600万ドルでドジャースと契約。{{by|2006年}}は、両親がメキシコ人であることから、MLBのシーズン前に開催される[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|ワールド・ベースボール・クラシック]]に[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック・メキシコ代表|メキシコ代表]]として出場を打診されたが、シーズンに集中したいと出場辞退<ref name="book2006"/>。シーズンでは、開幕当初は故障者リストに入っていたが、4月22日に戦列復帰してからは早いカウントから好きなボールを的確にとらえる打撃が復活し<ref name="book2007">{{Cite book|和書|author=友成那智、村上雅則|year=2007|title=メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007|publisher=廣済堂出版|pages=413項|id=ISBN 978-4-331-51213-5}}</ref>、打率.303・20本塁打・93打点をマークし、30三振・42四球と好打者に見られる四球が三振を上回る逆転現象が起きた<ref name="book2007"/>。後半戦はやや失速したものの、9月18日の[[サンディエゴ・パドレス|パドレス]]戦では9回に4者連続本塁打で追いつき、延長10回はサヨナラ弾などの劇的な一打を連発し、勝負強さを見せた<ref name="book2007"/>。シーズン終了後には[[カムバック賞]]を受賞し、MVP投票では13位に入った。11月に2年1,850万ドルでドジャースと契約延長
 
11月に2年1,850万ドルでドジャースと契約延長。{{by|2007年}}は、シーズン途中で若手の[[ジェームズ・ローニー (野球)|ジェームズ・ローニー]]に一塁のポジションを譲って自身は[[三塁手]]となり<ref>Ken Gurnick / MLB.com, "[http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20070625&content_id=2048807&vkey=news_mlb&fext=.jsp&c_id=mlb Notes: Nomar moving to third base Dodgers make room for rookie Loney at first]," ''The Official Site of Major League Baseball'', June 25, 2007. 2008年2月13日閲覧。</ref>、前年とほぼ同じ試合数に出場したが6本塁打しか放てず、チームも得点力が伸び悩んだ<ref>{{Cite book|和書|author=友成那智、村上雅則|year=2008|title=メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008|publisher=廣済堂出版|pages=447頁|id=ISBN 978-4-331-51300-2}}</ref>。
 
===アスレチックス時代 ===
{{by|2009年}}3月6日、[[オークランド・アスレチックス]]と1年契約。同年、2度の故障者リスト入りを経験<ref>{{Cite web|author=Associated Press|authorlink=AP通信|date=June 12, 2009|url=http://sports.espn.go.com/mlb/recap?gameId=290612126|title=Lincecum dazzles as Giants shut down A's|work=[[ESPN|ESPN.com]]|language=英語|accessdate=3月12日|accessyear=2009年}}</ref>。65試合の出場で、本塁打数(3)は自己ワーストとなった。2004年にレッドソックス放出以降初となった7月6日のレッドソックス戦では、ボストンのファンから[[スタンディングオベーション]]で迎えられた<ref>{{Cite web|last=Urban|first=Mychael|date=July 6, 2009|url=http://oakland.athletics.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20090706&content_id=5730146&vkey=news_oak&fext=.jsp&c_id=oak|title=Nomar makes return to Fenway with A's|work=MLB.com|language=英語|accessdate=3月12日|accessyear=2010年}}</ref>。
 
=== 引退 ===
{{by|2010年}}3月10日、レッドソックスとマイナー契約を結び、その直後に引退を発表した。ガルシアパーラは「レッドソックスのユニホームを着て引退したいとずっと思い描いていた。夢が実現した」と語った。同日、ガルシアパーラは、[[タンパベイ・レイズ|レイズ]]対レッドソックスのオープン戦で始球式を行った。捕手は大学時代からのチームメートでもある[[ジェイソン・バリテック]]が務めた<ref>{{Cite web|last=Edes|first=Gordon|date=March 11, 2010|url=http://sports.espn.go.com/chicago/mlb/news/story?id=4981701|title=Nomar: A dream to retire with Red Sox|work=[[ESPN|ESPN.com]]|language=英語|accessdate=3月12日|accessyear=2010年}}</ref>。
 
== 選手としての特徴 ==
打撃は初球を積極的に打ちに行くスタイルで、バットスピードがとても速く、打球を引っ張ることを好んだ<ref name="sr200308">スカウティング・レポート『月刊スラッガー』2003年8月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-8、15-19頁。</ref>。
 
遊撃守備では送球の正確さには欠けるものの、強肩とボディコントロールを生かし、後ろ足を固定せずにジャンプしてボールを身体のからへ横切るようにしてスローイングする型破りな守備を見せた<ref name="sr200308"></ref>。しかし2004年に右アキレス腱を故障して以来走力が衰え、守備も急激に衰えてしまい三塁手や一塁手にコンバートされた。
 
=== ルーティン ===