「ゴート起源説」の版間の差分

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== 概要 ==
これはゲルマン人の部族、ゴート人たちが、[[ヨーロッパ]]、[[アジア]]、[[アフリカ]]を支配したという[[伝承]]に基づいている。彼らがスウェーデン王国の建国に直接関わったからではなく、古代の[[スカンディナヴィア]]東部の現スウェーデン南部にゴート人の王国が存在していたとされ、スウェーデン王国建国の祖となった[[スヴェーア人]]たちが、ゴート人王国を服属させたと言う伝承に基づいている。ゴート人たちは、その後、[[東ヨーロッパ]]及び[[黒海]]沿岸に進出し、ゲルマン民族の大移動の主軸となった。ヴァンダル人も、その故地をスウェーデン南部とし、大移動に参加しアフリカに王国を建国した事に由来する。その過程で、スヴェーア人、ゴート人、ヴァンダル人の動向が伝説化され、アジア、アフリカ、ヨーロッパの支配者となったと言う「[[神話]]」が誕生したのである。この神話の起源は、[[1434年]]の[[バーゼル公会議]]が開かれた時に、当時スウェーデン王を兼ねていた[[カルマル同盟|カルマル連合]]の[[エーリク7世 (デンマーク王)|エリク7世]](エリク13世)の[[使節]]がゴート人とスカンディナヴィアに結び付けたのに由来する。これを、後にスウェーデンが拡大解釈したのである。なお、[[三十年戦争]]では、[[スイス傭兵|スイスの傭兵]]を多く得るために、スイス人の一部を占める[[ドイツ人|ドイツ系]]をゴート人の末裔とし、スウェーデン人と同一視させる政策をとった。
 
[[ヴァーサ王朝|ヴァーサ朝]]のグスタフ・アドルフとその娘[[クリスティーナ (スウェーデン女王)|クリスティーナ]]が「'''スヴェーア人、ゴート人、ヴァンダル人の王'''」と言う[[称号]]を用いたのも、このゴート起源説に由来する。スウェーデン王がこの様に自称したのも、古代スヴェーア人、これが現在の[[スウェーデン人]]に連なると定義したからである。そして、ヴァーサ家及びスウェーデン貴族は、その末裔とされた。さらにグスタフ・アドルフは、伝説のゴート王ベリクになぞらえた。なお、「スウェーデン普遍主義」と括られる時、[[フィンランド大公]]を兼任し、[[神聖ローマ帝国]]の帝冠も視野に入れていたと思われる(スウェーデン[[宰相]][[アクセル・オクセンシェルナ|オクセンシェルナ]]は、グスタフ・アドルフを[[マインツ選帝侯]]にすべく画策していた。これはフランス宰相[[リシュリュー]]による[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]を[[ケルン選帝侯]]にするために画策したのと同じであった)。ただし、神聖ローマ皇帝位と3部族の王位は別の理念であるとされ、主義自体は、政治的理念に基づくものである。
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なお、マグヌスは、作中で[[スウェーデン君主一覧|スウェーデンの君主]]に8人の[[カール]]と10人のエリクを創設した。[[カール9世 (スウェーデン王)|カール9世]]と[[エリク11世 (スウェーデン王)|エリク11世]]以前には、史実的には存在していないとされる。しかし、カール9世が[[1604年]]に即位した時には、その存在は確実視された。また、上記のカルマル同盟において、スウェーデン王に即位した[[エーリク7世 (デンマーク王)|エリク7世]]は、スウェーデンでは、'''エリク13世'''と呼称される。また、カール・クヌートソンは、スウェーデン[[摂政]]でありながら王の地位を得たとされ、[[カール8世 (スウェーデン王)|カール8世]](当時はカール2世)と呼称された。
 
この[[伝説]]は、スウェーデンにおいては歴史的に信じられてきたが、現代においては、この起源説は、根拠のないもの、考古学的な裏付けがなされていないとして、社会文化的な研究対象に置かれてはいるが、歴史学の対象とされてはいない。ヴァンダル人に関しては名前の類似性から、ノルウェーのハリングダール(Hallingdal)、スウェーデンのヴェンデル(Vendel)、デンマークのヴェンドシッセル(Vendsyssel)が彼らの故郷ではないかという説もあるが、ゴート人のスカンディナヴィア起源は、現在では疑問視されている
 
なお、国王選挙により[[ポーランド・リトアニア共和国]]の元首(ポーランド国王兼リトアニア大公)を務めたポーランド・ヴァーサ家の面々も、スウェーデン国王ジギスムントがポーランド国王[[ジグムント3世]]としてスウェーデンを留守にしていた間に叔父カールが王位を[[簒奪]]したスウェーデン・ヴァーサ家との間でスウェーデン王位を争っていた間、「スヴェーア人、ゴート人、ヴァンダル人の王」を名乗っていた。しかし、当時のポーランドには独自の[[サルマタイ]]人起源説([[サルマティズム]])があり、[[ポーランド人]]の間ではサルマタイ人起源説が主流であるが、またサルマタイ人起源説と同時に[[ヴァンダル族|ヴァンダル人]]起源説も盛んであり、[[ヴァンダル族#ヴァンダル人達のその後|ヴァンダル人たちはポーランド人の主要な祖先のひとつではないか]]と言う通念もあった(実際に、ヴァンダル人の一部が東ドイツや、[[レグニツァ]]や[[グウォグフ]]等の[[シレジア]]に戻っていることが古文書に記録されており、近年の考古学でもポーランドの地にはこの地に古くから住んでいた人々の文化であるプシェヴォルスク文化(ケルト・スラヴ・ゲルマンなど複数の流れを汲んだ文明圏)と、中世初期に東方からやってきた人々の文化であるプラハ・コルチャク文化が混交し、この地独特の文化を形作っていったことがわかっている)。ドイツからポーランドにかけてのこの地域は、2000年経った今でもドイツでは「ヴァンダロルム」と呼ばれている
 
==スペインのゴート起源説==