「海兵隊 (日本)」の版間の差分

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'''大日本帝国海軍海兵隊'''(だいにっぽんていこくかいぐんかいへいたい)とは、[[明治]]初期に、[[大日本帝国海軍]]に置かれた[[海兵隊]]である。[[1876年]](明治9年)7月に廃止された。1874年(明治7年)の[[佐賀の乱]]や同年の[[征台の役]]では海兵隊も動員された。
 
== 概要 ==
[[曹長]]以下の者([[下士]]・[[兵 (日本軍)|卒]])は、元来は[[大日本帝国陸軍|陸軍兵]]より海兵に転じたものであった<ref name="海軍七十年史談250頁">[http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1062905/136 {{Cite book
|author = 澤鑑之丞
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|publisher = 文政同志社
|page = 246
}}]</ref>。水兵本部がこれを統括し、各艦船の定員に応じて分乗した。艦船内ではこれを海兵部と称した<ref name="海軍七十年史談246頁" />。水兵本部には、本部、[[砲兵科]][[歩兵科]]が置かれたほか、[[軍楽隊|楽隊・鼓隊]]も付属された<ref name="海軍七十年史談246頁" />。
 
明治4年10月、海兵士官学校が設けられ、第1回入校生徒としては[[酒井忠利 (海軍軍人)|酒井忠利]](後の海軍[[少将]])らがいた<ref name="海軍七十年史談246頁" />。
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海兵隊廃止後は、[[海軍陸戦隊]]が海兵隊に近い任務を担った。
 
在隊した著名人としては、[[田中穂積 (作曲家)|田中穂積]](明治6年5月31日に命5等鼓手<ref>アジア歴史資料センター、レファレンスコードA10110571800、12頁</ref>。後に海軍軍楽師([[准士官]])。)もいる。
 
== 脚注 ==