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漂泊漁民への民俗学的な関心から、東京大学では[[文化人類学]]を専攻。[[泉靖一]]や[[李杜鉉]](ソウル大学校教授・東京大学客員教授=当時)らから教えを受け、韓国研究を開始する。1972年以来30年以上に亘って、[[全羅南道]][[珍島]]を中心に[[安東]]や[[済州島]]などで人類学的な[[フィールドワーク]]を行い、農村の相互扶助組織、親族、宗教儀礼、[[セマウル運動]]などに関する論文を多数発表。
 
戦前の日本の文化人類学では、植民地政策に伴って韓国社会の研究が盛んであったが、その後は政治状況から停止状態にあった。伊藤は戦後の日本人として初めて韓国で本格的なフィールドワークを行い、日本の韓国研究をリードするとともに、[[韓国文化]]が現在ほど日本で知られていない時代から、平易な言葉で日本へ紹介し続けてきた。2002年には韓国政府から長年の功績をみとめられ、[[大韓民国]]文化勲章を受章。一方では1990年代以降、[[よさこい祭り]](高知市)や[[YOSAKOIソーラン祭り]](札幌市)を事例に、市民参加型の地域開発を研究。YOSAKOIソーランの立ち上げや運営には自ら関わりながら、実践志向型の開発人類学を切り開いてきた。
 
== 栄典 ==