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'''福嶋 康博'''(ふくしま やすひろ、[[1947年]][[8月18日]] -) は、[[株式会社]][[スクウェア・エニックス・ホールディングス]]名誉会長。[[北海道]][[旭川市]]出身。スクウェア・エニックス・ホールディングスの筆頭[[株主]]。
 
==来歴・人物==
[[1966年]][[北海道旭川工業高等学校]][[建築科]]、[[1970年]][[日本大学]][[理工学部]][[建築学科]]卒。大学卒業後に、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[インド]]等を放浪した後、[[1974年]]に個人経営会社・営団社募集サービスセンターを創業。[[公団住宅]]の空き情報誌配布を事業化し成功。翌年には株式会社営団社募集サービスセンターを設立し、[[代表取締役]][[社長]]に就任する。
 
[[1982年]]、営団社募集サービスセンターの新規事業として[[ゲームソフト]]企画販売を行う会社・株式会社[[エニックス]]を設立。アマチュア向けのゲームプログラムコンテストを行い、クリエイターとプログラマーを発掘する。当時まだ[[香川県立丸亀高等学校|丸亀高校]]3年生だった[[中村光一]]の作品『[[ドアドア]]』を皮切りに、『[[ポートピア連続殺人事件]]』や『[[ドラゴンクエスト]]』などのゲームソフトを発売。一気にエニックスを株式公開企業まで押し上げた。
 
その後、『ドラゴンクエスト』を核としながらゲームグッズ事業、出版事業を展開。ゲームグッズ事業では、ドラゴンクエスト[[バトルえんぴつ]]がヒットし、一時は同製品が鉛筆市場の一割のシェアを獲得した。また出版事業では、少年漫画誌[[月刊少年ガンガン]]を発行した。当時、月刊漫画誌市場は売れないといわれていたが、ゲーム事業で培ったブランド力を生かし、この出版界の常識を打ち破ることに成功した。
 
またさらにゲーム業界発展の為、当時[[スクウェア (ゲーム会社)|スクウェア]]の社長を務めていた[[武市智行]]らと共同で社団法人[[コンピュータエンターテインメント協会|CESA]](社団法人コンピュータエンタテイメントソフトウエア協会) (CESA) を設立した。
 
[[2003年]]のスクウェアとの合併により[[スクウェア・エニックス]]の代表取締役[[会長]][[最高経営責任者|CEO]]に就任。[[2004年]][[6月19日]]付で代表権を返上し[[取締役]]も退任。[[役員 (会社)|相談役]]名誉会長に就任。[[2005年]]6月からは[[名誉会長]]を務める。[[2009年]]、[[藍綬褒章]]を受章。
 
 
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