「組手 (空手)」の版間の差分

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山元 (会話 | 投稿記録)
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==== 本土 ====
[[image:Karate WC Tampere 2006-2.jpg|thumb|300px|伝統派空手の組手試合]]
戦後、本土では[[全日本空手道連盟錬武会]]の前身・[[韓武舘]]が独自に防具組手を考案して、{{21年([[暦|1946年]])}}頃から、組手試合を始めた。[[1954年]](昭{{29年)暦|1954}}には、第1回[[全国防具付空手道選手権大会|全国空手道選手権大会]]を開催して、[[防具付き空手|防具付き]]ルールで大規模な試合を実施している。
 
また、[[1950年]](昭{{25年)暦|1950}}に結成された全日本学生空手道連盟により、[[1957年]](昭{{37年)暦|1957}}に全日本学生空手道連盟主催で伝統派(寸止め)ルールによる「第1回全日本学生空手道選手権大会」が開催された。
 
ほかに、[[山田辰雄 (空手家)|山田辰雄]]も、昭和20年代から独自にグローブ空手を考案して、{{37年([[暦|1962年]])}}には第1回空手競技会を開催して、後の[[フルコンタクト空手]]の先駆けとなった。
 
{{和暦|1964}}、[[全日本空手道連盟]](全空連)が結成され、{{和暦|1969}}、第1回[[全日本空手道選手権大会]]が開催された。翌{{和暦|1970}}には、第1回世界空手道選手権大会が東京([[日本武道館]])、大阪([[大阪府立体育館]])で二度に分けて開催された。これに先立つ{{和暦|1968}}には、[[メキシコオリンピック]]にて、メキシコオリンピック招待空手道選手権大会が開催された。
 
==== 沖縄 ====