「ミネソタ大学ツインシティー校」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
MS2644 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
MS2644 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
50行目:
'''ミネソタ大学ツインシティー校'''('''The University of Minnesota, TwinCities''')はアメリカ合衆国[[ミネソタ州]]最大の都市[[ミネアポリス]]と同州の州都[[セントポール (ミネソタ州)|セントポール]]にまたがって本部を置く同国最大の研究機関型州立総合大学の1つである。2都市を中心としたミネアポリス・セントポール大都市圏がTwin Cities(双子都市)と呼称されるため、学校名も「ツインシティー校」という。[[1851年]]に設置された。大学の略称は「U of M」、「UMTC」。同州のミネソタ州立大学(Minnesota State University)とは全く別の大学組織である。
 
ツインシティー校はミネソタ大学(The University of Minnesota)の旗艦校(本校)であり、ツインシティー校、ルートン(CrookstonDuluth)校、ダルス(DuluthMorris)校、クルトン(MorrisCrookston)校、ロチェスター(Rochester)校の5校からなるミネソタ大学系列の中で最古かつ最大の大学である。ハーバード大学(Harvard University)やプリンストン大学(Princeton University)等の東海岸の名門私立8大学で構成される「[[アイビー・リーグ]]」や西海岸のスタンフォード大学(Stanford University)等に次いで、全米最高峰の研究・教育機関の1つとして世界的にも高く評価されている。州立大学の屈指の名門校として「[[パブリック・アイビー]]」の1つに数えられる(グリーンズガイド)。特に、医療、理工学、経済学、心理学、教育学等の研究実績で名高い。[[1908年]]より、北米トップレベルの研究型大学で組織される[[アメリカ大学協会]](The Association of American Universities, AAU)のメンバー。これまでに20名のノーベル賞受賞者、86名のグッゲンハイムフェローをはじめ、数多くの分野にわたり優秀な人材を輩出してきた。
 
総学生数は64,964人([[2011年]]統計)で、[[オハイオ州立大学]](Ohio State University)、[[アリゾナ州立大学]](Arizona State University)、[[フロリダ大学]](The University of Florida)に次いで全米第4の規模である。その規模と同時に、16対1の学生対教員の比率が保たれ、充実した教育機関としても知られる。143の学部の学位と150の大学院の学位を授与している。国際交流にも力を入れており、日本の[[名古屋大学]]、[[広島大学]]、[[上智大学]]をはじめ、海外250校以上の大学との交換留学プログラムを有する。
56行目:
==沿革==
 
[[ミネソタ州]]が正式に第32番目の州になる7年前の[[1851年]]にミネソタ大学はプレパラトリー・スクール(Preparatory school)として設立されたが、[[南北戦争]]([[1861年]]-[[1865年]])の間は財政難の為一時閉鎖に追い込まれた。しかし、後に「ミネソタ大学の父」として知られるミネソタの実業家兼政治家[[ジョン・ピルスベリー]]([[John S. Pillsbury|(John Sargent Pillsbury)]])の援助を受けて1867年に再開した。ピルスベリーはミネソタ大学が[[ランドグラント大学]]([[Land-grant University]])としての指定を受けられるよう尽力し、[[1869年]]12月22日に[[ウィリアム・フォルウェル]](William Watts Folwell)(1833-1929)の初代学長就任と共に、ミネソタ大学は正式に大学へと昇格を果たした。そうした経緯を経て、ミネソタ大学は古くからランドグラント大学の1つとして知られている。<ref>[[http://www1.umn.edu/twincities /history-mission/index.html]]</ref> ランドグラント大学とは、1862年6月に制定された[[モリル法|モリル・ランドグラント法]](Morrill Land-Grant Colleges Act)が適用された大学のことである。ミネソタ大学はランドグラント大学として連邦政府からの土地と財政面の大きな支援を背景に、州政府指導の下、特に農学や工学の理工系分野の実用的な教育・研究を奨励した。元々、そうした分野はミネソタ州の産業と深く結びついていたこともあり、地域のニーズに合致し、学生数も飛躍的に増え、ミネソタ大学とミネソタ州の産業の大きな発展につながった。<ref>Thelin 2004, p. 153.</ref> ちなみに、近年では、ミネソタ大学はスペースグラント大学([[National Space Grant College and Fellowship Program|Space-grant college]])にも認定されており、航空宇宙工学の分野においても米国における中心的な教育・研究機関の一つとして位置づけられている。
 
*[[1873年]] 初の文学士号(Bachelor of Arts)を授与。
66行目:
 
ミネソタ大学ツインシティー校は[[1908年]]に[[アメリカ大学協会]](The Association of American Universities, AAU)の正式メンバーとなった。アメリカ大学協会とは、[[1900年]]にハーバード大学(Harvard University), ジョンズ・ホプキンス大学(Johns Hopkins University), コロンビア大学(Columbia University), シカゴ大学(University of Chicago), カリフォルニア大学(University of California), クラーク大学(Clark University), コーネル大学(Cornell University), アメリカカトリック大学(Catholic University), ミシガン大学(University of Michigan),リーランド・スタンフォード・ジュニア大学(略称:スタンフォード大学) (Leland Stanford, Jr., University),ウィスコンシン大学 (University of Wisconsin), ペンシルバニア大学(University of Pennsylvania), プリンストン大学(Princeton University),イェール大学 (Yale University)の米国の名門大学14校が集まり創設した大学連盟である。尚、その動きとは別に、同年、エドウィン・スロッソン ([[Edwin Emery Slosson]])(1865-1929)は2年間に渡る独自の調査に基づいて米国の名門大学14校を選定し、”Great American Universities”(米国の名門大学)として纏めたことが知られている。スロッソンの選定した“Great American Universities”14校のうち12校はアメリカ大学協会の初期メンバーと重複していたが、残りの2校はミネソタ大学とイリノイ大学が名を連ねた(ここではクラーク大学とアメリカカトリック大学は除外されている)。<ref>Thelin 2004, p. 111.</ref>
 
 
 
===理工学部(The College of Science and Technology)の沿革<ref>[http://cse.umn.edu/aboutcse/CSE_CONTENT_200027.php]</ref>===
81 ⟶ 79行目:
*[[1893年]] 化学科(Chemistry Department)を設置。
*[[1894年]] 工学部(College of Engineering)に数学科(Math Department)を設置。
*[[1898年]] 機工学科(Mechanical Engineering Department)を設置。
*[[1909年]] バイオシステム・農業工学科(Biosytems and Agricultural Engineering Department)(後のBioproducts and Biosystems Engineering Department)を設置。
*[[1910年]] 土木工学科(Civil Engineering Department)を設置。