「清凉寺」の版間の差分

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=== 国宝 ===
;木造釈迦如来立像および像内納入品
:「歴史」の項で述べた、いわゆる「三国伝来の釈迦像」である。像高約160cmで、魏氏桜桃という日本にはない材で作られているという。縄目状の頭髪や同心円状の衣文の形式など、一見して日本の通例の仏像と異なる様式を示す。奝然が宋に滞在中の985年、台州開元寺で作らせたもので、刻銘、納入品等の記載から、張延皎および張延襲という作者の名もわかっている。<!--後述の「紙本著色釈迦堂縁起」の像に基づく、←「紙本縁起は室町時代の作。時系列が逆。-->清凉寺式佛像を特色づける衣文のもっとも古い佛像様式はインドの国立Mathura博物館に収蔵されている「Seated BUDDAHA」にみられ、赤砂岩に彫刻されている。同美術館図録『MATHURA KALA 1999」によれば、3世紀初頭に祖形が見られ、5世紀に清凉寺式衣文のような流麗な形になっている。
 
:この釈迦像の模造は、奈良・[[西大寺 (奈良市)|西大寺]]本尊像をはじめ、日本各地に100体近くあることが知られ、「清凉寺式釈迦像」と呼ばれる。また、この像の胎内からは、造像にまつわる文書、奝然の遺品、仏教版画など多くの「納入品」が発見され、これらも像とともに国宝に指定されている。納入品のうち「[[五臓六腑]]」(絹製の内臓の模型)は、医学史の資料としても注目される。その他、奝然の遺品としては、生誕書付(臍の緒書き)や手形を捺した文書なども発見された。