「慶長大判」の版間の差分

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[[Fileファイル:Keicho oban.jpg|thumb|400px|慶長大判]]
'''慶長大判'''(けいちょうおおばん)とは[[江戸時代]]の初期すなわち[[慶長]]6年([[1601年]])より発行された[[大判]]であり、墨書、金品位および発行時期などにより数種類に細分類される。この発行年については慶長の幣制の成立と同時期とされるが詳細については不明であり、定かでない。
 
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== 明暦大判 ==
明暦3年([[1657年]])の[[明暦の大火]]による被害は[[江戸城]]の[[天守]]および御金蔵まで及び、鎔け流れた[[金]][[銀]]を明暦4年([[1658年]])より[[万治]]3年([[1660年]])に掛けて江戸城三の丸で吹き直し鋳造された大判が'''明暦大判'''(めいれきおおばん)と呼ばれるが、慶長大判の一種として扱われる。形状はやや撫肩のものとなり、鏨目は粗くなり、やや右肩上がりの方向に打たれたものが多い。その後、京都の大判座でも大判が鋳造された<ref name="kobata" />。墨書きはいずれも九代程乗のものである<ref name="nishiwaki" />。
* '''明暦判'''(めいれきばん)もしくは'''江戸判'''(えどばん):裏面に「久・七・新」または「九・七・竹」の極印が打たれ、現存数は慶長大判の中ではこの明暦判が最も多い。
* '''三ツ極印'''(みつごくいん):京都の大判座で明暦年間以降に鋳造。裏面に「弥・七・九」、「次・七・九」、「坂・七・九」、「弥・七・新」のいずれかの極印が打たれている。
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{{江戸時代の貨幣}}
 
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[[Category:日本の硬貨]]
[[Category:金貨]]