「今出川伊季」の版間の差分
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'''今出川 伊季'''(いまでがわ これすえ、[[万治]]3年[[5月29日 (旧暦)|5月29日]]([[1660年]][[7月6日]]) - [[宝永]]6年[[2月26日 (旧暦)|2月26日]]([[1709年]][[4月5日]]))は、[[江戸時代]]前期から中期にかけての[[公卿]]。主に[[霊元天皇]](112代)・[[東山天皇]](113代)の二帝にわたり仕え、官位は[[正二位]][[内大臣]]まで昇った。父は[[右大臣]][[今出川公規]]。母は[[刑部省|刑部少輔]][[京極高和]]の娘。子に[[近衛府|左近衛中将]][[今出川公香]](のち無位無官)、[[
[[寛文]]元年([[1661年]])に叙爵。以降[[清華家]]当主として速いスピードで累進し、[[侍従]]・[[近衛府|左近衛少将]]・
なお子息の公香は、
伊季は、[[琵琶]]の名手としても知られた。琵琶にまつわるこんな逸話がある。ある時、[[醍醐天皇]]の愛用品と伝わる琵琶を所蔵する者がいることを知った伊季はこの者のところへ通ってその琵琶を貸してほしいと頼みこんだ。しかし先方にとっても秘蔵の宝であるから拒否された。それでも諦めきれない伊季は今度は[[北野天満宮]]に通って借りられるようにと毎日祈りをささげるようになった。たとえ暴風雨の日であっても怠ることなく毎日通ったという。この話を聞いて恐れ入った相手方はとうとうこの秘蔵の琵琶を伊季に渡したのだという。
== 関連項目 ==
* [[菊亭
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