「スウェーデン陸軍」の版間の差分

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en:Swedish Army 00:40, 15 June 2011 版やsv:Sveriges armé 19 maj 2011 kl. 11.24 版の要点訳および参考文献や英語版関連記事など
 
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== 歴史 ==
[[中世]][[ヴァイキング]]時代からスウェーデンの武装組織はあったが、現代の陸軍の起源は[[カルマル同盟]]が存在していた1521年であるとされ、後の[[ヴァーサ王朝|ヴァーサ朝]]以降続く政体での軍事力となる。独立後の陸軍は、[[リヴォニア戦争]]や[[北方七年戦争]]に参戦した。[[カルマル戦争]]でデンマークは十分な戦力が整っていた間だけであったが、デンマーク王[[クリスチャン4世 (デンマーク王)|クリスチャン4世]]と多くの傭兵部隊を信頼し戦っていた。この頃弱体化していたスウェーデン軍は、[[動乱時代|ロシア大動乱]]に参戦していた事もあって、[[デンマーク陸軍]]に苦戦し1613年に[[クネレド条約]]が締結され賠償を支払ったものの係争地カルマルは守りきった。1611年に即位したスウェーデン王[[グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ2世]]は、[[ネーデルラント連邦共和国|オランダ]]の軍事革命を取り入れ、[[スウェーデン海軍|海軍]]と併せ、スウェーデン軍を強化して行った。
 
17世紀は[[スウェーデン・ポーランド戦争]]や[[三十年戦争]]、[[トルステンソン戦争]]、[[カール・グスタフ戦争]]([[北方戦争]])、[[スコーネ戦争]]など周辺諸国との戦に参戦し、陸軍を基盤とてい軍事国家であり、[[バルト海]]世界の覇権国であった([[バルト帝国]])
 
18世紀に入り、[[大北方戦争]]での敗北は多くの海外領土を失い[[ロシア帝国]]が北欧での覇権国として台頭し、国内ではスウェーデン王[[カール12世 (スウェーデン王)|カール12世]]の戦死により[[絶対王政]]が終焉し「[[自由の時代]]」が始まり周辺諸国の情勢に影響されやすい不安定な情勢となっていく([[スウェーデン=フィンランド]]においても18世紀は[[フィンランド]]はロシアとの係争地となり、[[第一次ロシア・スウェーデン戦争]]まではフィンランドを維持していたが、続く[[第二次ロシア・スウェーデン戦争]]での敗北によってフィンランドは分割され、ロシアの保護下の[[フィンランド大公国]]となった)
 
[[グスタフ3世 (スウェーデン王)|グスタフ3世]]の治世が始まり「自由の時代」は終焉し強国政策が進められ、[[フランス革命]]の余波による[[フランス革命戦争]]と[[ナポレオン戦争]]では[[第四次対仏大同盟]]や[[第六次対仏大同盟]]などで[[対仏大同盟|対フランス陣営]]の一員として参戦し、[[ライプツィヒの戦い]]に参加している。ナポレオン戦争末期の[[デンマーク=ノルウェー]]との戦争で[[ノルウェー陸軍]]と戦ってノルウェーを併合した頃までがスウェーデンが実質的に参戦した戦争の最後となった(最終的にノルウェーは、[[ウィーン会議]]によって、スウェーデンと対等の[[同君連合]]国家[[スウェーデン=ノルウェー]]連合王国となった)。1905年のノルウェー独立時にはスウェーデン政府によって軍が総動員されたが、外交によって開戦は回避された
 
ナポレオン戦争以来、スウェーデンは[[中立]]政策を維持し[[クリミア戦争]]、[[第一次世界大戦]]や[[第二次世界大戦]]には不干渉を貫くため動員をかけ国防体制を強化した。
 
中立であっても近代化の努力は払われていた。1901年国防改革により一般徴兵制が採用され兵役制度が定められた。制度においては適齢期を迎え入営してから歩兵は1年間、特殊技能保持者はさらに240日延長して兵役に就いていた。第一次世界大戦中は制度の見直しが行われている。1936年にはイェータ近衛連隊に2個機甲大隊が編成するなど大戦中に機甲戦力の拡充や歩戦協同戦術の採用など近代化が進められる。