「フランソワ・エティエンヌ・ケレルマン」の版間の差分

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ロシア戦役には病気のため参加しなかったが、1813年及び1814年の戦役では、変わらぬ手腕と指揮を発揮した。第一次王政復古では、階級を維持したが、百日天下ではナポレオンに従い第3騎兵軍団を指揮した。
 
彼は1815年7月16日のカートル・ブラの戦闘で有名な騎兵突撃で部隊を指揮した。ケレルマンはネイ元帥の厳命によりギュタン指揮下の770人の猟騎兵師団と共にイギリス軍へ正面突撃を行った。騎兵の教義に対して、ケレルマンは敵に数を知られないように即座に駆け足を命じ、4つの分散突撃によって第8及び第11胸甲騎兵隊は英国第69歩兵隊を粉砕し軍団旗を奪取した。ハノーバー大隊は追い散らされ、第33歩兵隊及び第73歩兵隊は近くの森に撤退した。 騎兵隊は短時間ではあるが重要な十字路を占領したが、見込みが甘く、ケレルマンは落馬し敵騎兵の鐙にしがみつくことによってようやく離脱に成功した
 
ワーテルローの戦いではケレルマンは負傷した。ケレルマンの指揮下の2個師団は左翼の中央において歩兵の支援を行った。早い段階で、胸甲騎兵隊(おそらくケレルマンもしくはミヨー指揮下の部隊)は不用意に突出してきたハノーバー大隊を撃破した。午後にネイによって第3騎兵軍団はラ=エイ=サントとウーグモンの間に存在する連合軍の方形陣に対する飽和攻撃に送られた。夕方に胸甲騎兵(おそらくケレルマンの)は第5及び第8キングスレギオン大隊を撃破した。しかし 連合軍の防衛線に対する度重なる攻撃は一つの方形陣を撃破できず優秀なフランス軍騎兵を使い果たしてしまった。