「八尾・若江の戦い」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
63行目:
木村は玉串川西側堤上に[[火縄銃|鉄砲]]隊を配置し、敵を田圃の[[畦|畦道]]に誘引して襲撃しようともくろんだ。
 
午前7時頃、井伊直孝は若江の敵への攻撃を決断、部隊を西に転進させた。井伊勢の先鋒は右手[[庵原朝昌]]、左手[[川手良列]]。木村勢を発見した川は、玉串川東側堤上から一斉射撃後、敵に突入した。堤上にいた木村勢は西に後退し、堤は井伊勢が占拠した。川手はさらに突進したが戦死した。そこに庵原も加わり激戦となった。木村重成は自身も槍を取って勇戦したが戦死した。[[山口弘定]]、[[内藤長秋]]も戦死し、木村本隊は壊滅した。
 
それまで戦闘を傍観していた幕府軍の[[榊原康勝]]、[[丹羽長重]]らは味方有利と見て木村勢左先手[[木村宗明]]を攻めた。宗明は本隊が敗れたため大坂城へ撤退した。