「NWA世界ジュニアヘビー級王座」の版間の差分

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[[1979年]]に当時の王者であった[[ネルソン・ロイヤル]]の引退に伴い、反主流派はロサンゼルスにて同年12月10日に王座決定戦を行い、[[スティーブ・カーン]]を新王者に認定するが、これに異を唱えたマクガークも[[1980年]]2月11日にオクラホマで王座決定トーナメントを決行し、[[ロン・スター]]を新王者に認定したため、一時期、2つの『NWA世界ジュニアヘビー級王座』が混在するなどの事態を招いたが、最終的にはマクガーク版のタイトルの正当性が認められた。なお、反主流派が新設したタイトルは『[[世界ジュニアヘビー級王座#インターナショナル・ジュニアヘビー級王座|NWA認定世界ジュニアヘビー級インターナショナル選手権]](後に、NWA認定インターナショナル・ジュニアヘビー級王座と改称)』として日本に定着している。
 
以後、王座は[[1982年]]に[[佐山聡|初代タイガーマスク]]が[[レス・ソントン]]より奪取するとともに[[新日本プロレス]]に定着<ref>『1945-1985 激動のスポーツ40年史(6)プロレス 秘蔵写真で綴る激動史』P162(1986年、[[ベースボール・マガジン社]])</ref>。[[WWFジュニアヘビー級王座|WWFの同級王座]]と共に新日本プロレスにて管理されていたが<ref>その一方で、タイガーマスクに王座を奪われたソントンは、[[1983年]]11月に[[フィリピン]]の[[マニラ]]で行われたとされる架空のトーナメントに優勝したと称し、[[ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング|ジョージア地区]]で再びNWA世界ジュニアヘビー級王者を名乗り、防衛戦を行なっている。そのため、再び2つの『NWA世界ジュニアヘビー級王座』が混在するという事態が発生したが、正統王座を管理していた新日は、この件に関してNWAにソントンの王座の無効を強固には主張せず、海外での防衛戦も行わなかったため、有耶無耶な状態で2つの王座が存続されたまま、ソントンが[[1984年]]7月の[[ブラック・サタデー]]に起因するWWF移籍に伴いタイトルを返上し、以後、[[ヘクター・ゲレロ]]~[[マイク・デービス]]~[[デニー・ブラウン]]と王座が移動した後、新日が返上した王座と統合されている。</ref>、WWFと新日の提携が解消されたことにより、新日に[[IWGPジュニアヘビー級王座|新たなジュニアへビー級王座]]が認定され、NWA王座もそれに伴い返上することとなった。
 
以降、NWAの権威が低下したことにより、マイナータイトルの一つという扱いとなり、一時は(1996年から1998年まで)[[ジュニア8冠王座]]のひとつになっていたが、8冠王座解体後は新日から離れ、その後もインディー団体の王座として現在も存続している。
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