「オスマン・サンコン」の版間の差分

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== 来歴 ==
ギニア[[ボッファ県]]出身。22人兄弟の4男。[[国立コナクリ大学]]卒業後、[[フランス]]の[[ソルボンヌ大学]]に[[国費留学]]し、[[1972年]]にギニア[[外務省 (曖昧さ回避)|外務省]]に入省。同年、日本に開設されたギニア[[大使館]]の大使館員(駐日親善大使<ref>2011年8月霊友会京都創立祭資料より</ref>)として来日し8年間を日本で過ごす。
 
[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ワシントンD.C.]]勤務を経て、[[1984年]]にギニア外務省を休職して再来日。人気[[テレビ]]番組「[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]」への出演をきっかけに、タレント活動を開始する。笑顔を絶やさない明るいキャラクターと、いわゆる[[天然ボケ]]で、[[デーブ・スペクター]]、[[ケント・デリカット]]らとともに「変なガイジン」タレントとして人気を博した。お決まりのフレーズは、「'''1コン2コン・サンコン!'''」<ref>オスマン ユーラ サンコン監修、武井こうじ著 『1コン2コン・サンコンと世界に旅立とう! 6カ国語会話集』 [[河出書房新社]]、2003年、ISBN 9784309905273。</ref><ref>最近では息子と共演の際その後にヨン(4)コンを言うバージョンもある。</ref>。
 
タレント活動の傍ら、講演活動、故郷のボッファに15年間日本の文具や衣類を贈るなどの[[ボランティア]]活動を行なっている。そもそも、日本人にギニアという国のことを知ってもらうためにタレント活動を始めたという経緯があるためか、近年ではギニアの[[民族衣装]]を着てテレビに出演することが多い(以前は必ずと言っていいほど、[[スーツ]]姿であった)。
 
息子のDJヨンコン<ref>芸名はサンコンの息子だからヨンコンというニックネームから。</ref>は[[レゲエ]]グループ[[笑連隊]]のメンバーとして活動している。
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ギニアの[[公用語]]である[[フランス語]]、ギニアの土着語の[[スースー語]]、[[日本語]]、[[英語]]、[[スペイン語]]、[[イタリア語]]の6カ国語を話すマルチリンガルである。かつては6.0の[[視力]]を持っていたが、それでも故郷では近眼だったというエピソードがある。ただし、長い日本生活で現在の視力は1.2になってしまったとのこと。(2010年8月1日放送の測定で0.9)
 
少年時代に、[[サッカー]]で右足を骨折して入院したが、当時のギニアの医療設備・技術では完治に至らず、現在でも不自由で、日本の[[身体障害者手帳]]2級を持ってい<ref>2011年8月霊友会京都創立祭資料より</ref>。この出来事を体験したことが、「ギニアの医療をはじめ、経済・生活水準などを先進国並みに発展させ、未来の子供たちに同じ思いをさせたくない」という、ボランティア活動の原動力になっているとコメント。また、ギニアに住んでる頃はあまり[[汗]]をかかない体質だったが、日本に来てからはダラダラと汗をかくようになってしまったという。
 
介護ヘルパー2級の資格を持っており、福祉の問題への関心も高い。