「タウフィック・ヒダヤット」の版間の差分

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*2005年に出場したアナハイム世界選手権では、五輪後に幾つものトーナメントで優勝していたランキング1位の[[林丹]]を決勝で下して初優勝。男子シングルスの選手として初めて'''オリンピックと世界選手権の両タイトルを獲得'''した選手となった。
*2006年のトマス杯直前に入籍し、結婚式にはインドネシア大統領を含む4000人もの人が招待された。5月に日本で開催されたトマス杯では調整不足の為、日本代表の[[佐藤翔治]]に敗れるなど本来のパフォーマンスを見せることができなかった。10月の[[YONEX OPEN JAPAN]]では、ノーシードながらシードの[[鮑春来]]や[[リー・チョンウェイ]]ら強敵を破り、決勝に駒を進めるが、決勝で中国の[[林丹]]にファイナルゲームの末敗れる。その決勝のファイナルセットの途中から序盤で点差を離されたせいか気の抜けたプレイを連発し、結果21-3という両者の実力を考えると、あり得ないスコアで敗れた為に多くの大会関係者から非難された。12月にドーハで開催されたアジア大会は、団体戦で2度敗れた[[林丹]]を男子シングルスの決勝で破り、同種目の2連覇を達成する。
*2011年8月、[[米倉加奈子]]が主催する[[東日本大震災]]復興チャリティーイベントに参加するため、インドネシアナショナルチームの一員として来日する予定。
 
== 人物 ==
* プレースタイルと同様に、インドネシア人らしい自由気ままな性格の持ち主であり、そのことからバドミントン界の[[ジョン・マッケンロー]]と称されることがある。普段は気さくな青年だが、童顔に似合わず女優や女性歌手らとの噂が絶えないなどスキャンダラスな行動や、所属するPBSIに対する痛烈で批判的な発言も多い。そのため、インドネシア国内ではゴシップ記事の標的にされることも少なくない。
* 彼の母国のインドネシアではバドミントンは国技とされており、バドミントン選手は日本における野球選手やサッカー選手などと同等か、またはそれ以上に知名度が高い。その中でも彼の人気はトップクラスであり、彼の出場するほとんどの試合はゴールデンタイムにテレビ放送されている。
* 近年は出場する大会を選ぶ傾向があり、ランクの低いトーナメントには出場しないことが多い。また出場するトーナメントもインドネシア・シンガポール・マレーシアなどのアジア地域での大会が中心で、反対にヨーロッパで行われるトーナメントへの出場に消極的である(彼はヨーロッパのトーナメントでは、一度も優勝していない)。そのため他のトッププレーヤーに比べ実力の割に世界ランキングが低くなりがちで、ノーシードで大会に出場することも少なくないため、他の選手から彼の姿勢に対しての批判の声が聞かれることも少なくない。