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3年時には主将となったが夏の[[全国高等学校野球選手権和歌山大会|和歌山大会]]では[[山本芳彦]]を擁する[[和歌山県立和歌山工業高等学校]]の前に一回戦敗退。高校通算47[[本塁打]]。
 
高校卒業後は[[早稲田大学]][[人間科学部]]に進学。1年春からレギュラーに定着し、2年春にはリーグ3位の[[打率]].405、17[[打点]]の成績で[[打点王]]とベストナインに輝く。同年は[[田中浩康]]、[[青木宣親]]、[[鳥谷敬]]、[[比嘉寿光]]、武内、[[由田慎太郎]]と[[打順]]の1番から6番までが後にプロ入りする選手だった。3年時には[[第2回世界大学野球選手権日本代表]]にも選出されたが、本塁打への意識の強さから打撃フォームを崩して平凡な成績が続き、フォーム改善に苦悩する。94kgという体重にしては足も速かったが、[[盗塁]]王はチームメイトの前田将希が獲得。4年時の{{by|2005年}}には主将となり第34回[[日米大学野球選手権大会]]に出場して最高殊勲選手となるが、アメリカ人とのパワーの違いを痛感し、本塁打へのこだわりを捨てるきっかけになり、その後行われた秋季リーグ戦では本塁打0ながら打率.426で[[首位打者]]と打点王を獲得し、再びベストナインに選ばれた。同年秋の[[プロ野球ドラフト会議]]で[[東京ヤクルトスワローズ]]に[[希望入団枠制度|希望枠]]で入団。準永久欠番である背番号8を同年引退した[[佐藤真一]]から受け継いだ。大学通算で97試合に出場し通算25人目となる100安打以上を達成し、345[[打数]]102[[安打]]、打率.296、当時の歴代4位となる73打点、12本塁打を残した。守備では4年間リーグ戦全試合に[[スターティングメンバー|スタメン]]出場して無[[失策]]だった。
 
=== プロ入り後 ===