「平島義寛」の版間の差分

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平島にて出生するが、父は京都の文人と交流が多く何かと物入りのために、[[文化 (元号)|文化]]2年([[1805年]])に[[藩主]][[蜂須賀治昭]]に加増願いを出したが断られたことなどから、父は京都に移り、足利氏に復したが、「[[系図纂要]]」では義寛については父と同行したかについてや、本人及び子の没年については触れていない。
墓所は、[[等持院]]墓地。戒名は、興正院殿天山道榮大居士。<ref>阿南市立阿波公方・歴史民俗資料館蔵 足利家系譜</ref>
 
== 参考文献 ==