「イギリス帝国」の版間の差分

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===アフリカ進出===
イギリスはナポレオン戦争時に南アフリカの[[ケープ植民地|オランダ領ケープ植民地]]がフランスに占領されることを恐れて、1795年と1806年二度にわたってケープ植民地を占領し、ナポレオン戦争終結後も結局オランダに返還しなかった。しかし、オランダ時代(1652年-1806年)にケープに入植していたオランダ系住民[[ボーア人]]は約13,000人に達しており、彼らはイギリスの支配を嫌って[[グレート・トレック]]と呼ばれる北方への大移動を行い、1837年[[ナタール共和国]]を建国した。これがイギリスに滅ぼされると[[オレンジ川]]の上流に[[トランスバール共和国]](1852年)と[[オレンジ自由国]](1854年)を樹立した。しかしこの地域で金鉱が発見されると、ボーア人が[[ドイツ]]と結ぶ事を恐れたイギリスは2回に渡る[[南アフリカ戦争]]でボーア人国家を併合した。1910年にはケープ、ナタール、トランスバール、オレンジ自由州の4州を合わせて自治領[[南アフリカ連邦]]を創設した。
 
イギリスはこのほか[[東アフリカ]]の[[ケニア]]、[[タンザニア]]、[[西アフリカ]]の[[ナイジェリア]]、[[ガーナ]]などを次々と植民地化していった。[[北アフリカ]]の[[エジプト]]はもともと[[オスマン帝国]]領で、後にオスマン帝国から独立したが、イギリスはエジプトに与えた膨大な[[借款]]を梃子にエジプトを事実上[[保護国]]化し、[[スーダン]]にも支配を伸ばした。
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