「カール・ハウスホーファー」の版間の差分

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第二次世界大戦期を通じて[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の間では、ハウスホーファーがヒトラーの侵略政策に大きな影響を与えたという見方が広まった。[[ドナルド・ノートン]]はこうした見方をされたハウスホーファーを「ヒトラーの悪魔的天才」「(Hitler's evil genius)」と評している。ドイツ敗戦後の[[ニュルンベルク裁判]]でも重要戦争犯罪人としてハウスホーファーを裁く動きがあったが、高齢の上に病身であったこと、ヒトラーの政策への関与の立証が困難であった事などから見送られた<ref>シュパング、2001年、4p</ref>。
 
敗戦後の[[1946年]]に妻と心中した。理由の詳細は不明。服毒した上の[[腹]]自であったと言われている。
 
==思想と影響==