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LucienBOT (会話 | 投稿記録)
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上記の菊を使った習慣の他に、茱萸(グミではなく[[サンショウ|カワハジカミ]])の実を入れた袋を肘に下げたり、郊外の丘など高い場所へ[[ピクニック]]に出掛け遠くを見る(これを'''登高'''と呼ぶ)ことが行われた。
 
中国で重陽が正式な節句として認められたのは[[前漢|漢代]]である。[[劉キン (学者)|劉歆]]による『[[西京雑記]]』に、[[劉邦|高祖]]の愛妾であった[[戚夫人]]が殺害された後、宮廷より放逐された侍女の賈佩蘭が、9月9日は宮廷では茱萸を肘に下げ、菊酒を飲み長寿を祈る習慣があったと人に話したことにより、民間でも祝われるようになったとある。
 
[[唐|唐代]]の重陽は2日あるいは3日間にわたって祝われていた。これは[[李白]]の『九月十日即事』からもうかがい知ることができる。