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'''原 俊介'''(はら しゅんすけ、[[1977年]][[8月30日]] - )は、[[神奈川県]][[秦野市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[捕手]]、[[一塁手]]、[[外野手]])。
 
== 来歴・人物、 ==
1995年、[[福留孝介]]の外れドラフト1位で[[読売ジャイアンツ|巨人]]に入団(7球団が競合した福留の外れ1位として巨人と中日が原を指名したが、原も外してしまった中日は[[荒木雅博]]を指名)。
 
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現在は[[早稲田大学]]に在学しながら、[[後藤孝志]]と立ち上げた野球教室「[http://www.tokyo-guts.jp TOKYO GUTS]」でコーチをしている。
 
== エピソード ==
{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2011年8月}}
*2軍で[[三塁手|三塁]]を守り、4番に座ったため「4番・サード・原」というかつての[[原辰徳]]を彷彿させるアナウンスが実現したことが[[スポーツ報知]]のジャイアンツ日記で紹介された。2人は東海大相模高校の先輩後輩でもある。
*原辰徳が引退した1995年に、[[福留孝介]]の7球団競合に敗れた巨人が更に[[中日ドラゴンズ]]との競合の末に選択権を引き当て、ドラフト1位で[[読売ジャイアンツ]]へ入団した選手である。
*選手在籍時の監督でもある原とは血縁上の繋がりはない。
*プロ初[[本塁打]](ツーランホームラン)を放った際、ランナーは原とドラフト同期の仁志であり、その仁志とともに出迎えた次打者もまたドラフト同期の清水であった。'''同期のドラフト上位3名がホームベース付近に集う'''という珍しい出来事が起きた。その後の[[円谷英俊]]のプロ初本塁打の時もドラフト上位ではないが同じ出来事が起きている。
*2003年横浜戦で受けた生涯唯一の死球はサヨナラとなる押し出し死球だった。
 
== 詳細情報 ==
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{| {{年度別打撃成績|リーグ=日本プロ野球}}
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2003}}
|rowspan="4" style="text-align:center;"|[[読売ジャイアンツ|巨人]]
|40||47||45||7||12||2||1||3||25||8||0||0||0||0||1||0||1||16||2||.267||.298||.556||.853
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2004}}
|6||6||5||1||2||0||0||0||2||0||0||0||0||0||1||0||0||1||0||.400||.500||.400||.900
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2005}}
|9||17||16||1||2||0||0||0||2||1||0||0||0||0||1||0||0||5||1||.125||.176||.125||.301
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2006}}
|13||21||19||1||3||1||0||0||4||1||0||0||1||0||1||0||0||4||1||.158||.200||.211||.411
|-
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|}
 
=== 背番号記録 ===
*'''38''' (1996年 - 1999年)
*'''62''' (2000年 - 2006年)
 
=== 個人記録 ===
*初出場:2003年3月29日、対中日ドラゴンズ2回戦(東京ドーム)
*初安打:同上、投手・[[久本祐一]]
*初本塁打:2003年3月30日、対中日ドラゴンズ3回戦(東京ドーム)、投手・[[野口茂樹]]
 
=== エピソード背番号 ===
*'''38''' (1996年 - 1999年)
*2軍で[[三塁手|三塁]]を守り、4番に座ったため「4番・サード・原」というかつての[[原辰徳]]を彷彿させるアナウンスが実現したことが[[スポーツ報知]]のジャイアンツ日記で紹介された。2人は東海大相模高校の先輩後輩でもある。
*'''62''' (2000年 - 2006年)
*原辰徳が引退した1995年に、[[福留孝介]]の7球団競合に敗れた巨人が更に[[中日ドラゴンズ]]との競合の末に選択権を引き当て、ドラフト1位で[[読売ジャイアンツ]]へ入団した選手である。
*選手在籍時の監督でもある原とは血縁上の繋がりはない。
*プロ初[[本塁打]](ツーランホームラン)を放った際、ランナーは原とドラフト同期の仁志であり、その仁志とともに出迎えた次打者もまたドラフト同期の清水であった。'''同期のドラフト上位3名がホームベース付近に集う'''という珍しい出来事が起きた。その後の[[円谷英俊]]のプロ初本塁打の時もドラフト上位ではないが同じ出来事が起きている。
*2003年横浜戦で受けた生涯唯一の死球はサヨナラとなる押し出し死球だった。
 
== 関連項目 ==