「ジェニファー・ジョーンズ」の版間の差分

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本名フィリス・リー・イスリーとして生まれる。両親は巡業劇団を持っていたため、子供の頃から舞台に立っていた。
 
[[ノースウェスタン大学]]と[[ニューヨーク]]の[[アメリカ演劇ン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツ]]で学び、19歳の時に同じく俳優の卵であった[[ロバート・ウォーカー]]([[アルフレッド・ヒッチコック]]監督の『[[見知らぬ乗客]]』が有名)と結婚。夫がラジオの仕事を得、ジョーンズも端役で西部劇などに出演するようになる。
 
1940年代前半に映画プロデューサーの[[デヴィッド・O・セルズニック]]の[[スクリーンテスト]]のために[[ハリウッド]]に移ったときに名前をジェニファー・ジョーンズに改名<ref name="cnn"/>。舞台のオーディションのためにのオフィスに行き、セルズニックに認められて彼の元で契約を交わすことになった。
 
その後、1943年『[[聖処女]]』に主演、[[アカデミー主演女優賞]]を受賞した。
 
1944年には最初の夫と離婚、1949年にセルズニックと再婚し、彼の元で様々なジャンルの映画に出演、アカデミー賞に4度ノミネートされるなど高い評価を得た。[[1955年]](昭和30年)[[1月30日]]、『慕情』の香港ロケへ向かう途中に共演の[[ウィリアム・ホールデン]]と来日を果たしている。1965年のセルズニックの死後はほとんど引退状態であったが、1974年の『[[タワーリング・インフェルノ]]』に顔を出している。