「ジェニファー・ジョーンズ」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m r2.7.1) (ロボットによる 追加: ca:Jennifer Jones |
Ambivalence (会話 | 投稿記録) |
||
49行目:
本名フィリス・リー・イスリーとして生まれる。両親は巡業劇団を持っていたため、子供の頃から舞台に立っていた。
[[ノースウェスタン大学]]と[[ニューヨーク]]の[[アメリカ
1940年代前半に映画プロデューサーの[[デヴィッド・O・セルズニック]]の[[スクリーンテスト]]のために[[ハリウッド]]に移ったときに名前をジェニファー・ジョーンズに改名<ref name="cnn"/>。舞台のオーディションのためにのオフィスに行き、セルズニックに認められて彼の元で契約を交わすことになった。
その後、1943年『[[聖処女]]』に主演、[[アカデミー主演女優賞]]を受賞した。
1944年には最初の夫と離婚、1949年にセルズニックと再婚し、彼の元で様々なジャンルの映画に出演、アカデミー賞に4度ノミネートされるなど高い評価を得た。[[1955年]](昭和30年)[[1月30日]]、『慕情』の香港ロケへ向かう途中に共演の[[ウィリアム・ホールデン]]と来日を果たしている。1965年のセルズニックの死後はほとんど引退状態であったが、1974年の『[[タワーリング・インフェルノ]]』に顔を出している。
|