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{{特筆性|date=2011年8月}}
{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照-->
| Name = 佐藤GWAN博
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| Background = singer
| Birth_name = 佐藤博
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| Genre = [[フォークソング]]
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}}
 
'''佐藤 博'''(さとう ひろし、[[1943年]][[11月5日]] - )は、日本の[[フォークシンガー]][[俳優]]
愛称はガン(GUN、GWAN、ぐぁん)。愛称の由来は、鳩が豆鉄砲をくらったような目をしてるので、鉄砲=ガンと[[林隆三]]によって名付けられた。また、同音の病気にならないように願をかけてるとも言われる。
 
愛称はガン(GUN、GWAN、ぐぁん)。愛称の由来は、鳩が豆鉄砲をくらったような目をしてるので、鉄砲=ガンと[[林隆三]]によって名付けられた。また、同音の病気にならないように願をかけてるとも言われる
初期のころには俳優としても、フォークシンガーとしても佐藤博での表記であったが、同姓同名のミュージシャンがいたため、
2000年よりアメリカ進出とアジアっぽい響きを取り入れ、GWANをミドルネームとして、『佐藤GWAN博』を正式名称としている。
 
初期のころには俳優としても、フォークシンガーとしても佐藤博での表記であったが、同姓同名のミュージシャンがいたため、2000年よりアメリカ進出とアジアっぽい響きを取り入れ、GWANをミドルネームとして、『佐藤GWAN博』を正式名称としている。
仕事の内容によって名前を使い分けており、
 
仕事の内容によって名前を使い分けており、別に放送作家としての活動に[[雁田昇]](かりたのぼる)の名前を使う。
 
== 俳優として ==
*[[1943年]][[11月5日]] [[福島県]][[福島市]]生まれ福島高校卒。
*1965年 [[劇団俳優座|俳優座]]附属俳優養成所(第15期生)卒業後、「劇団自由劇場」の創立メンバー。
 
 養成所同期には、[[林隆三]]・[[小野武彦]]・[[前田吟]]・[[地井武男]]・[[栗原小巻]]・[[秋野太作]]・[[夏八木勲]]・[[浜畑賢吉]]・[[高橋長英]]・[[村井国夫]]・[[赤座美代子]]・[[太地喜和子]]・[[三田和代]]・劇作家で[[斎藤憐]]そして、マルチライターの佐藤博。
 この同期は才能ある人達を多く輩出した事で、花の1515期生と呼ばれている
 一期上には、[[串田和美]][[佐藤信]][[清水紘治]][[吉田日出子]][[樋浦勉]]・河内美子(現[[嵯峨美子]])・[[辻萬長]][[原田芳雄]]がいた。
 
 ちなみに自由劇場は上記養成所のメンバーが中心として結成される
地井武男・古川義範・樋浦勉・串田和美・溝口舜亮・村井国夫・佐藤博・清水綋治・河内美子・田島和子・[[吉田日出子]]の俳優陣と、演出関係の観世栄夫・斉藤隣・佐藤信という、総計14名を創立メンバーとして[劇団〈自由劇場〉]が発足した。
 
地井武男[[古川義範]]・樋浦・串田和美[[溝口舜亮]]・村井国夫・佐藤・清水綋治・河内美子[[田島和子]][[吉田日出子]]の俳優陣と、演出関係の[[観世栄夫]]・斉藤・佐藤という、総計14名を創立メンバーとして[劇団〈自由劇場〉]が発足した。
俳優として劇団活動を続けて「演劇センター68/71」(黒テント)にも参加。<ref>日本フォーク大全 P202より</ref>
 
俳優として劇団活動を続けて「演劇センター68/71」(黒テント)にも参加<ref>日本フォーク大全 P202より</ref>
 
その後、自作の歌も歌いはじめフォークシンガーとなり、そして放送作家の活動も始める。
 
(公認サイトから一部引用)
 
== 出演作品 ==
舞台
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*1975年 NHK[[少年ドラマシリーズ]]「六年二組の春は…」劇中歌「たんぽぽのお酒」
*1975年 アルバム「jam」([[ベルウッド・レコード (オリジナル)|ベルウッド・レコード]])参加。
*1976年 ファーストアルバム「青空」([[ベルウッド・レコード (オリジナル)|ベルウッド・レコード]])を出す。
*70年代は毎年、「[[春一番 (コンサート)|春一番コンサート]]」
*80年代に入っても、吉祥寺「[[ぐゎらん堂]]」「のろ」などで精力的にライブを続けてきた。
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{{Singer-substub}}
 
{{DEFAULTSORT:さとう ひろし}}
[[Category:日本のフォークシンガー]]
[[Category:日本の俳優]]
[[Category:福島県出身の人物]]
[[Category:1943年生]]