「アッティカ」の版間の差分

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=== 古代 ===
{{main|アテナイ}}
[[Image:NAMA Héraclès & Nessos.jpg|thumb|right|200px|アッティカは[[古代ギリシアの陶芸|陶器生産]]の中心地であった。[[ネッソス]]と戦う[[ヘラクレス]]を描いたアッティカ黒像式陶器(紀元前620–610年頃)]]
[[File:Temple of Poseidon.jpg|thumb|right|250px|スニオン岬にあるポセイドン神殿(紀元前440年頃)]]
古代、[[アテナイ]]の人々は、自分たちがよそからアッティカに移り住んできた民ではなく、この地にもともと暮らしていた民であったことを誇りとしていた。この伝承は、古典時代に[[暗黒時代 (古代ギリシア)|暗黒時代]]([[紀元前1200年]]から[[紀元前700年]]頃)を振り返ってつくられたものと考えられている。
 
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[[ミケーネ文明]]の時代([[紀元前15世紀]] - [[紀元前12世紀]]頃)、アッティカ人たちは自治的な農業社会で暮らしていた。先史時代の遺跡が、[[マラトン]]や[[:en:Rafina|Rafina]]、[[:en:Nea Makri|Nea Makri]]、[[:en:Brauron|Brauron]]、Thorikos、Agios Kosmas、[[:en:Eleusina|Eleusina]]などで発見されている。[[ギリシア神話]]によれば、アテナイの初代王[[ケクロプス]]の頃にはアッティカは12の小さな国からなっており、[[テーセウス]]の時代にアテナイのもとに統合されたという。
 
[[File:Temple of Poseidon.jpg|thumb|right|250px|スニオン岬にあるポセイドン神殿(紀元前440年頃)]]
[[紀元前6世紀]]まで[[貴族]]は郊外で独立した生活をしていたが、僭主[[ペイシストラトス]]の独裁や[[クレイステネス]]による改革を経て、郊外の共同体はその独立を失い、アテナイの中央政府の支配に服することとなった。
 
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== 関連項目 ==
*[[ギリシャの地方行政区画]]
*[[アッティカ十大雄弁家]]
*[[古アテナイ方言]] - 「アッティカ方言」とも呼ばれる。
 
== 外部リンク ==
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*{{en icon}}[http://www.patt.gov.gr/main/index.php?lang=en {{lang|en|Attica Region's website}}(アッティカ地方政府)]
*{{el icon}}[http://www.athensattica.gr/ ATHENS ATTICA(アッティカ地方観光局)]
*{{en icon}}[http://www.athensattica.gr/index.cfm?lang_id=2 ATHENS ATTICAATTICA(アッティカ地方観光局)]
*{{el icon}}[http://www.apdattikis.gov.gr/default.aspx {{lang|el|Αποκεντρωμένη Διοίκηση Αττικής}}(アッティカ管区)]