「元仁」の版間の差分

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「[[易経|周易]]」の「元亨利貞、正義曰、'''元仁'''也」より。
 
『[[吾妻鏡]]』貞応3年12月4日条([[鎌倉幕府]]にはこの日に京都から改元の詔書が到着した)には、撰進者は[[菅原為長]]とされる<ref>北爪真佐夫「元号と武家」(初出:『札幌学院大学人文学会紀要』第68号(2000年9月)/所収:北爪『文士と御家人』(青史出版、2002年) ISBN 978-4-921145-13-2)。なお、同論文によれば京都で改元の詔書が発せられ、そのことを伝える使者が鎌倉に到着するまでに10日前後かかり、これを受けて幕府でも改元遵行の命令が出されたと言う。</ref>
== 元仁期におきた出来事 ==
*元仁元年 [[評定衆]]を設置。