「マルゲリータ・ディ・サヴォイア (マントヴァ公妃)」の版間の差分

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1626年、フェルディナンド1世は妃カテリーナ・デ・メディチ([[トスカーナ大公国|トスカーナ大公]][[フェルディナンド1世・デ・メディチ]]の次女)との間に子供がないまま没し、後を継いだのは彼の弟で枢機卿だった[[ヴィンチェンツォ2世・ゴンザーガ]]だった。彼も子供がないまま、翌1627年に急逝した。このため、マントヴァ公位をめぐって[[マントヴァ継承戦争]](1627年 - 1632年)が起こり、公国は[[スペイン]]に占領された。
 
マルゲリータの長女マリアは、1627年に[[フランス王国|フランス]]の貴族ヌヴェール公[[カルロ・ゴンザーガ=ネヴェルス (1609-1631)|シャルル・ド・ゴンザーグ=ヌヴェール]]([[ゴンザーガ家]]の傍系)と結婚した。これにより、マントヴァ公位はシャルルのものとなり、彼は[[カルロ1世 (マントヴァ公)|カルロ1世]]としてマントヴァ公およびモンフェッラート侯となった。
 
1635年、マルゲリータは母方の従弟にあたるスペイン王[[フェリペ4世 (スペイン王)|フェリペ4世]]に依頼され、スペイン領[[ポルトガル]]の[[副王]]となった。彼女は[[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]]の孫娘であり、姉妹である父方の曾祖母ベアトリーチェ・ディ・ポルトガッロと母方の曾祖母[[イザベラ・フォン・ポルトゥガル]]の2人を通じてポルトガル王[[マヌエル1世 (ポルトガル王)|マヌエル1世]]の血を引くことから、白羽の矢が立ったものである。この人事は、ポルトガル摂政会議の一員ディオゴ・ソアレス、オリバレス公、実質的なポルトガル統治責任者であったミゲル・ヴァスコンセロスの努力によるものだった。