「藤原芳子」の版間の差分

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類まれなる美貌で、目尻が少し下がりめの、非常に長い黒髪だったという。『[[大鏡]]』には、誇張もあるだろうが、そんな彼女の様子が、「御車に奉りたまひければ、わが身は乗りたまひけれど、御髪のすそは母屋の柱のもとにぞおはしける(お車にお乗りになれば、ご本人は(車に)乗ってらっしゃるのだが、髪の毛のすそはまだ母屋の柱にある)」と記されている。村上天皇の寵愛も厚かった。そのことに関して、[[中宮]]の[[藤原安子]]が非常に嫉妬し、土器の破片を芳子に向かって投げつけたという記事も『大鏡』に記されている。
 
また、非常に聡明でもあり、『[[古今和歌集]]』二十巻すべて暗記していたという。村上天皇はこの噂を聞き、本当に暗記しているのか、[[物忌み]]の日に試験した。ところが、芳子はすべて間違えることなく暗記していた、という記事が『[[枕草子]]』の二十段に[[皇后]][[藤原定子]]が語った話として記されている。[[宣耀殿女御麦合]]を天暦10年(956年)5月に主催。『[[玉葉和歌集]]』と『[[続古今和歌集]]』に彼女の歌が一首ずつある。
 
中宮の安子が死去した後は、かえって寵愛が衰えてしまったらしい。息子は夭折していたり病弱だったりと、結局[[東宮]]にはなれなかった。