「フラウィウス・ウァレリウス・セウェルス」の版間の差分

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[[306年]]にコンスタンティウス・クロルスが死去すると、その息子[[コンスタンティヌス1世|コンスタンティヌス]]が自身の軍団に推されて正帝となると宣言したが、ガレリウス帝の推挙によりセウェルスが正帝となった。
 
続いて、引退したマクシミアヌスの息子[[マクセンティウス]]が[[ローマ]]で反乱を起こし、ガレリウス帝はその鎮圧にセウェルス帝を向かわせた。セウェルスは、以前はマクシミアヌス帝に仕えていた軍団を引き連れて、首都メディオラヌム(現[[ミラノ]])からローマに向かった。マクセンティウスはセウェルスが来るのに脅えて、父の助けを借りることにし、マクシミアヌスを共同皇帝として正帝に復帰させた。このため、セウェルスの軍団がローマに到着して城壁を取り囲んだときに、軍団はセウェルスの元を離れて再びマクシミアヌス配下に加わった。セウェルス帝は難攻不落の[[ラヴェンナ]]に逃走したが、マクシミアヌスが身体の安全を保障したことを受けて降伏し、ローマ近くのトレス・タベルナエ([[:en: Tres Tabernae]])に幽閉されることになった。
 
ガレリウス帝はマクセンティウスとその父を鎮圧するため、[[307年]]に自身で兵を引き連れてイタリアに侵攻した。このときに、セウェルスはマクセンティウスに殺害された。
 
== 外部リンク ==
{{CommonsCommonscat|Flavius Valerius Severus}}
* [http://www.roman-emperors.org/severus.htm DiMaio, Michael, "Severus II (306-307 A.D.)", ''De Imperatoribus Romanis'']
 
{{ローマ皇帝}}
 
{{DEFAULTSORT:せうえるす ふらういうす うあれりうす せうえるす}}
 
[[Category:ローマ皇帝]]