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江戸期まで増沢地区では、古くから木工加工が盛んであり、漆器加工も小規模ながら行われていた。[[明治]]4年([[1871年]])この地に新たな漆器産業を起こすべく、組頭辰十郎により奥州藤原氏の流れをくむ[[秋田県]][[稲川町]]の川連漆器職人沓沢岩松が招かれ、増沢塗が成立する。
この地では古来から秀衡椀は作られてきたが、高級品の為あまり知られていはいなかったが、[[昭和]]13年([[1935年]])、民芸の父と言われる[[柳宗悦]]らによる秀衡椀の調査が行われ、増沢塗職人により秀衡椀が秀衡塗として復元され、広く作られるようになった。
増沢塗職人は[[昭和]]30年([[1955年]])増沢地区衣川ダム建設に伴い奥州市[[水沢市|水沢区]]、[[胆沢町|胆沢区]]、[[平泉町]]等に散在。現在は奥州市胆沢区に1名伝えるのみである。
 
== 特徴 ==