「宅和本司」の版間の差分

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{{Infobox baseball player
|選手名 = 宅和 本司
|英語表記 =
|所属球団 =
|背番号 =
|プロ入り年度 = 1954年
|ドラフト順位 =
|初出場 = 1954年4月4日
|最終出場 = 1961年7月30日
|年俸 =
|経歴 = <nowiki></nowiki>
* [[福岡県立門司高等学校|福岡県立門司東高等学校]]
* [[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]] (1954 - 1960)
* [[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファロー]] (1960 - 1961)
|経歴補足題 = 監督・コーチ歴
|経歴補足 = <nowiki></nowiki>
* 三商タイガー (1994 - 1996)
|選出国 =
|選出年 =
|選出方法 =
}}
'''宅和 本司'''(たくわ もとじ、[[1935年]][[7月18日]] - )は、[[日本福岡県]]出身の[[プロ野球選手]]([[投手]])・指導者・[[プロ野球監督|監督]]、[[野球解説者]]。選手としては[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]][[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファロー]]に所属した。[[福岡県]]出身
 
== 来歴・人物 ==
福岡県立門司東等学(後の[[福岡県立門司高等学校]])時代[[エース]]として{{by|1951年}}秋の九州大会に出場し、見事同校初[[優勝]]の原動力となる活躍を見せる。しかし翌[[{{by|1952年]]、}}に学校上層部が余計な気を回し、春の[[選抜高等学校野球大会|センバツ]]出場(同校春夏通じて初の快挙出場となるはずだった)を控える野球部員の[[定期考査|学年末試験]]を免除し合宿をさせていた事実が発覚。これが問題視され一度は正式に選ばれた代表校の座を[[日本の高校野球#全国大会出場辞退|返上]]した。同校は一度も甲子園出場を果たせぬまま2009年3月に閉校となったが、閉校式後の懇親会において謝罪の気持ちを込めた功労賞が宅和ら当時の野球部OBに贈られた<ref>[http://kyushu.yomiuri.co.jp/local/fukuoka/20090304-OYS1T00257.htm 幻の甲子園に57年ぶり光、元南海・宅和さんらに功労賞] - 九州発:YOMIURI ONLINE(読売新聞) 2009年3月4日閲覧</ref>
福岡県立門司東高等学校(後の [[福岡県立門司高等学校]])から[[1954年]]、南海に入団。
 
{{by|1954年}}に南海入団同期には[[野村克也]]、[[皆川睦雄|皆川睦男]]がいる。1年目から[[ローテーション]]入りし 26勝9敗 [[防御率]]1.58 と活躍[[タイトル最優秀新人 (野球)|新人王]]を総なめに受賞した<ref>[http://bis.npb.or.jp/yearly/pacificleague_1954.html 年度別成績 1954年 パシフィック・リーグ]</ref>。同じ高卒[[ルーキー]]で後に[[日本プロ野球名球会|名球会]]入りした [[梶本隆夫]]([[オリックス・バファローズ|阪急]])は 、20勝12敗、防御率2.73の成績を残しながら、その煽りを受け新人王を獲得受賞できなかった。翌[[{{by|1955年]]}} 24勝11敗 を挙げ二年連続で[[最多勝]]のタイトルを獲得<ref>[http://bis.npb.or.jp/yearly/pacificleague_1955.html 年度別成績 1955年 パシフィック・リーグ]</ref>。しかし3年目となる[[{{by|1956年]]}}の6勝(5敗)を最後に一軍で勝ち星を挙げることはできなくなり、近鉄移籍後の[[{{by|1961年]]}}に現役を退いた。故障もあって現役生活はわずか8年であったが、プロ入り最初の2年で50勝(20敗)を挙げるという驚異的な活躍と、その後の急速な衰え振りは余りに対照的で、プロ野球ファンに鮮烈な印象を残した。
高校時代には[[エース]]として秋の九州大会に出場し、見事同校初[[優勝]]の原動力となる活躍を見せる。しかし翌[[1952年]]、学校上層部が余計な気を回し、春の[[選抜高等学校野球大会|センバツ]]出場(同校春夏通じて初の快挙となるはずだった)を控える野球部員の[[学年末試験]]を免除し、合宿をさせていた事実が発覚。これが問題視され、一度は正式に選ばれた代表校の座を[[日本の高校野球#全国大会出場辞退|返上]]した。
 
現役引退後は日本球界では一度も現場復帰せず、長年[[毎日放送]]で野球解説者を務めた(テレビについては[[1974年]]までは[[テレビ朝日|NETテレビ]]系列、[[1975年]]以降は[[TBSテレビ|TBS]]系列でネットされる場合もあった)。[[{{by|1994年]]}}に[[中華職業棒球大聯盟|中華職業棒球聯盟]]の三商タイガーからコーチとして招かれ[[台湾]]に渡り、同年途中三商の[[プロ野球監督|監督]]に就任。[[{{by|1996年]]}}シーズン終了後に退団、帰国した。その後は毎日放送系のCS局[[GAORA]]の野球解説者として活動していが現在は一線を退いている
南海入団の同期には[[野村克也]]、[[皆川睦雄]]がいる。1年目から[[ローテーション]]入りし 26勝9敗 [[防御率]]1.58 と活躍、[[タイトル]]を総なめにした。同じ高卒[[ルーキー]]で後に[[日本プロ野球名球会|名球会]]入りした [[梶本隆夫]]([[オリックス・バファローズ|阪急]])は 、20勝12敗、防御率2.73の成績を残しながら、その煽りを受け新人王を獲得できなかった。翌[[1955年]]も 24勝11敗 で[[最多勝]]のタイトルを獲得。しかし3年目となる[[1956年]]の6勝(5敗)を最後に一軍で勝ち星を挙げることはできなくなり、近鉄移籍後の[[1961年]]に現役を退いた。故障もあって現役生活はわずか8年であったが、プロ入り最初の2年で50勝(20敗)を挙げるという驚異的な活躍と、その後の急速な衰え振りは余りに対照的で、プロ野球ファンに鮮烈な印象を残した。
 
== 詳細情報 ==
現役引退後は日本球界では一度も現場復帰せず、長年[[毎日放送]]で野球解説者を務めた(テレビについては[[1974年]]までは[[テレビ朝日|NETテレビ]]系列、[[1975年]]以降は[[TBSテレビ|TBS]]系列でネットされる場合もあった)。[[1994年]]に[[中華職業棒球聯盟]]の三商タイガーズからコーチとして招かれ[[台湾]]に渡り、同年途中、三商の[[プロ野球監督|監督]]に就任。[[1996年]]シーズン終了後に退団、帰国した。その後は毎日放送系のCS局[[GAORA]]の野球解説者として活動していたが現在は一線を退いている。
 
==詳細情報==
=== 年度別投手成績 ===
{| {{投手成績|リーグ=日本プロ野球}}
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1954}}
|rowspan="6" style="text-align: center;"|[[福岡ソフトバンクホークス|南海]]
|60||31||15||5||2||'''26'''||9||--||--||.743||1273||'''329.2'''||207||9||105||--||'''14'''||'''275'''||4||0||68||58||'''1.58'''||0.95
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1955}}
|'''58'''||23||13||4||0||'''24'''||11||--||--||.686||961||244.1||176||'''23'''||80||5||7||205||4||0||74||66||2.42||1.05
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1956}}
|24||9||1||0||0||6||5||--||--||.545||316||78.2||62||3||24||0||4||44||0||0||22||20||2.28||1.09
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1957}}
|5||2||0||0||0||0||0||--||--||----||48||9.2||12||0||8||0||0||6||0||0||9||9||8.10||2.07
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1958}}
|11||1||0||0||0||0||0||--||--||----||114||24.2||25||1||15||0||0||11||0||0||15||12||4.32||1.62
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1959}}
|1||1||0||0||0||0||1||--||--||.000||14||3.0||4||0||0||0||0||1||0||0||2||1||3.00||1.33
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1960}}
|rowspan="2" style="text-align: center;"|[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]
|6||0||0||0||0||0||0||--||--||----||48||11.0||12||2||4||0||2||5||0||0||10||9||7.36||1.45
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1961}}
|3||0||0||0||0||0||0||--||--||----||42||8.1||13||1||1||0||1||1||2||0||15||6||6.00||1.68
|-
!colspan="2"|通算:8:8
|168||67||29||9||2||56||26||--||--||.683||2816||709.1||511||39||237||5||28||548||10||0||215||181||2.29||1.05
|}
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
 
=== タイトル ===
* [[最優秀防御率]](1954年)
* [[最多勝利]](1954年、1955年)
* [[最多奪三振]](1954年)※) ※当時はタイトルではない
 
=== 表彰 ===
* [[最優秀新人 (野球)|新人王]](1954年)
 
=== 記録 ===
* 初登板:1954年4月4日、対[[北海道日本ハムファイターズ|東映フライヤーズ]]5回戦([[駒澤野球場]])
* 初勝利:1954年5月1日、対[[千葉ロッテマリーンズ|毎日オリオンズ]]7回戦([[大阪球場]])
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:1回(1955年)
 
=== 背番号 ===
* '''32''' (1954年 - 1959年)
* '''23''' (1960年 - 1961年)
 
== 関連情報 ==
=== 出演番組 ===
* [[MBSタイガースライブ|毎日放送ダイナミックナイター]] - [[MBSラジオ]]
* [[スーパーベースボール (テレビ朝日系列)|スーパーベースボール]] - [[テレビ朝日]](毎日放送がネットを組んでいた当時は、NETテレビ)系列の[[プロ野球中継]]の現行タイトル。
* [[BANG BANG BASEBALL]] - 毎日放送・[[TBSテレビ|TBS]]系列のプロ野球中継の現行タイトル。
 
==関連項目 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
* [[福岡県出身の人物一覧]]
* [[福岡ソフトバンクホークスの選手一覧]]
{{DEFAULTSORT:たくわ もとし}}
[[Category:日本の野球選手]]
[[Category:大阪近鉄バファローズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手]]
[[Category:大阪近鉄バファローズ及びその前身指導者団の選手]]
[[Category:最多勝利 (NPB)]]
[[Category:最優秀防御率 (NPB)]]
[[Category:最多奪三振 (NPB)]]
[[Category:野球監督]]
[[Category:野球解説者]]
[[Category:福岡県出身の人物]]
[[Category:北九州市出身の人物]]
[[Category:1935年生]]
[[Category:福岡県出身の存命人物]]
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